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第6章 衣・食・住

第1節 衣生活

6 衣類の調達と管理

木綿
今では木綿を織っていた時代を知る人はほとんどいないようである。綿を栽培し、木綿糸をとり木綿地を織っていた時代、木綿糸を買って木綿地を織っていた時代、木綿地を買う時代と変化したであろうことは、記録から推しはかることができる。明治八年『武蔵国郡村誌』の物産の記録によると古市場では白木綿、縞木綿が、別所では白木綿、縞木綿、綿子(めんし)、綿が、常光では実綿、宮内でも実綿がとれている。かなりの生産量があったと思われる。また綿と種を分ける「ワタクリ」をもっている家も複数確認され、そのなかには購入した年と購入先を示すと思われる墨書もある。ーーー戌秋 鴻巣宿 大こくや 吉十郎 弐拾四銭ーーー木綿糸も木綿地もかなり早くから商品として出まわったため、『武蔵国郡村誌』後急速に生産されなくなり、今日記憶にある人がほとんどいないものと思われる。ただ、ふとん綿としてはその後も自家消費分程度には作られ、ワタクリも残っているのではないかと考えられる。
綿は土地を選んだものか、場所によってはごく近年まで作られていた。鴻巣や吉見から嫁や婿にきた人は若い人でも綿を知っている。昭和十二年に吉見で生まれた女性は綿から木綿糸をとったことがあるという。明治中ごろに吉見から婿にきた父親が、母の手織り木綿で着物を作ってもらってきたという話をしてくれたおばあさんもいる。その着物は丈夫でつい最近まで子や孫が着たり、縫い直したりしていたという。
木綿糸は、紺屋にたのんで川越などの問屋から買ってもらったり、鴻巣や桶川の商店や市でも買った。

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