北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第1節 衣生活

7 髪型、お歯黒、肌の手入れ

髪型
大正時代の女の子は、「タケナガ」で髪を結っていた。大正九年の常光小学校(現鴻巣市)の写真をみるとタケナガで結っている子が一九人、おさげの子が五人である。「タケナガ」は厚手の紙でできており学用品などと一緒に売っていた。いろいろな色や模様がついておリ一銭で二、三枚買えた。一枚一銭出すと上等のが買えた。一日で切れてしまうのでまとめて買っておいた。大尽娘(でえじんこ)はいいタケナガをしていた。金色の模様がついていたりした。大尽娘はタケナガではなく、おさげにしてリボンを結ぶ子も多かった。髪をひとまとめにして高く上げ、元結いでしばった上にタケナガをはめる。次に髪全体を二つに分け、毛先をタケナガの下に入れてできあがり。高等科を出るまではほとんどタケナガを使った。

写真7 常光小学校

(大正9年)

写真8 両大師大宮講中

(昭和10年)

写真9 石戸小学校

(昭和18年)

大正の終わりの大人には、逆毛をたててまるで大きな帽子でもかぶっているように大きく高く結いあげる髪型がはやった。
昭和初めごろの女の子は、おかっぱか、おさげ髪だった。大人の女の人でおしゃれな人は、ハイカラなどという髪型をしていた。年よりは長い髪を後ろでクルクル巻いてビョを何本も使って止めていた。昭和十年の両大師大宮講中の写真をみるといろいろな髪型があったことがわかる。
昭和三十年代には、おつかいでも何でもでかけるときには必ずといってよいほどスカーフをかぶった

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