北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第2節 食生活

2 日常の食物


魚は海の魚と川魚の両方を食べた。海魚は、正月やエビス講のときでないと食べることができなかったといわれる一方で、一週間に一度くらい行商に回ってくる魚屋から買って食べたともいう。魚屋は、市内や鴻巣・桶川などから来ていて、鴻巣まで買いに行くこともあった。魚の種類はニシン・イワシ・サンマ・サケ・マスなどで、塩魚や干魚が多く、刺身などは、よほどよい御祝儀でもないと食べることはできなかった。ニシンはボウニシンといって干したニシンであり、サケの切り身やマスの塩引きは値が安かった。マスは安くて塩辛いので魚半分もあれば一人分が間に合った。春先にはナマリブシなども食べた。また、サイボサケといって、家から出た人が歳暮にサケを持ってくることがあり、昭和の初期ころまでは、一五、六本も家のはりにサケがつってあった。これはかす漬けなどにした。
川魚にはフナ・コイ・ウナギ・ドジョウ・ナマズなどを食べたが、川魚は好き好きがあって、あまり食べない家もあった。川魚は荒川や近くの堀などから取る。北中丸では近くに神明堀といわれる大きな堀があり、冬に朝早く行ってカイボリをした。カイボリは幾人か共同で行うもので、水車で堀の水をかい出してしまう方法である。一日に一五、六貫も魚が取れ、日のあるうちに取りきれなくて夜もランプを持って行くことがあった。また、夏場になるとホッツケ(渇水時に水田のシロカキ用として水をためておく天水場のようなもので、何ヶ所かあった)の中に入り、足で水をかき混ぜて泥水にして、魚が弱ったところでフルイですくって取った。この方法はモマシドリという。このほかに、ヨツデ網などで漁をする人にもらったり、あるいは、岩槻・騎西・加須あたりの県東部の農家が、農閑期に川魚を売りに来ることがあった。これはカワウオ屋といい、自転車の後ろにカゴをつけて、生のままの魚や焼いて串に刺したものを持って来た。川魚は、冬に取ったものを焼いてベンケイ(藁を束ねたもの)にさしておくと、春先まで保存がきいた。特に正月には、これらの魚を甘露煮にして食べた。夏場の魚はそれほどもたないので、すぐ食べてしまう。
フナは大きなものを一日中とろ火で煮て甘露煮にしたり、コブナを串に刺して焼いて食べたりした。焼けたものを串から抜いてテンプラにするとうまい。酒を飲む人は、よく酒のさかなとしてフナを焼き、醤油でもつけてかじっていた。
コイは洗いにしたり、包丁でブツ切りにして、醤油や味噌で煮て食べる。また、嫁が妊娠すると、生まれる二か月くらい前に、安産で丈夫な子供が生まれることを願って大きなコイを一匹か二匹実家から贈ってきた。このコイは、妊婦(ハラミカカア)が食べて身体に栄養を与えるものだといったが、妊婦だけでなく家族中で食べることもあった。
ドジョウはマキタ(ツミタ)でよく取った。稲が少し伸びて二、三寸の大きさになったころ、夜に田で石油を焼やしてドジョウを集め、棒に釘を付けたもので突く。稲がこれくらいの大きさになっていると、田のクロを歩いてもドジョウが逃げないでよく取れた。ドジョウの食べ方は、まず水につけて泥を吐かせてから塩をふりかける。そうするとドジョウは暴れて泡を出し、白くなる。ドジョウの臭みがなくなったら再度洗って醤油で煮付ける。このほかに、テンプラにしたり、キミシキといって柳川ナべ(鍋)のように卵と一緒に煮るのもあった。生臭が好きな人は、鍋の中にそのままドジョウと水を入れて煮ていた。中でドジョウが暴れる音がするが、うでこぼして一度水を捨て、きれいな水に入れ替えて醤油で味付けをする。土用の丑の日に、ウナギのかば焼きはなくてドジョウを食べることもあった。ナマズの骨は堅いので捨ててしまうが、ドジョウは骨まで食べられる。
ナマズはテンプラにすると軽くてうまいが、テンプラは油を多く使うのでぜいたくであり、普通は焼いて塩や醤油をつけて食べた。
タニシも昔はよく食べた。春に田から取ってきて、ゆでて身だけにしてよく洗う。味噌で煮て食べるとうまかった。

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