北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第3節 住居

3 付属屋

キゴヤ(木小屋)
キゴヤはシノヤ・シノゴヤともいう。冬場は、山搔きした燃料用の木の葉や小枝がぎっしり入っていた。そして、夏から秋の収穫期のころになると木の葉も減り、収穫作業場になったのである。木小屋の位置はほとんどの家の場合母屋の左手の前で、日当たりの良い場所を選んで建てられているのだという。
ところで、北本宿の関根利雄さん宅には、「ウダツ」という燃料用のマツゴク(松葉)の収納小屋があった。荒井の北袋では、ウダツは「井戸屋形の気のきいたようなもの」で、薪などしまっておく物置だったという。ウダツとは掘っ建て柱の粗末な小屋であった。また、高尾の新井恒治さん宅では、いけ込み(掘っ建て柱)のウダツじゃしょうがないというので、木小屋(草葺。母屋の左手前)を建てたと伝えられている。さらに、この木小屋は大正十五年に母屋の右手前に移動、その跡に瓦葺のナガヤ(長屋)を建てたという。

写真34 木小屋(下石戸下)

写真35 長屋(高尾)

つまり、付属屋としてはまず主として燃料を収納する一時的で粗末な小屋であるウダツが作られた。ついで土台石を置いた本格的な木小屋が作られるようになり、この段階でダイドコロの収穫作業の場としての役割の多くは木小屋に移ったのであろう。さらに、瓦葺、二階建、一部には床をはった部屋をもつ立派な「長屋」が作られるようになっていったようだ。また、木小屋や長屋が建てられていく過程で、燃料収納専門のコノハゴヤ(木の葉小屋)・キオキバ(木置き場)なとが別に建てられ、木小屋は穀類を収納する(収納することを、シノウと言った)場所としての性格を強めていったのである。木小屋をシノヤまたはシノゴヤとも呼ぶのは前記のとおりである。長屋も機能的には木小屋と同じである。広い耕作地を持つ農家は収穫作業をする建物をたいていニか所は持っていたのである。
収穫作業は、木小屋とニワを使って行われる。刈り取った大麦の束がぎっしりと木小屋に積み上げられていく、それをコキ(千歯扱き)でこいて、庭に干し、馬にローラーを引かせ脱穀、ノゲを取り俵に詰め木小屋に積んでいく。百俵は入ったという。
また、木小屋・長屋の隅にはさまざまな農作業用の機具が所狭しと置かれていた。石臼、唐箕(とうみ)、回転式脱穀機、大小の籠類、数十枚のムシロ、縄、ローブ、養蚕の道具、石油発動機、モーター、牛に引かせる鋤、牛車等々。木小屋・長屋の裏や妻側の屋根の下も無駄なく利用された。母屋再建用に挽いた板を積み、数十年も乾燥させた。刈り取った稲を干すため、庭先に組むハゼ・シコに使う丸太や竹もここにしまってあった。

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