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第7章 人の一生

第1節 産育

厄年と年祝い
厄年は、数えで男二五、四二、六〇歳、女一九、三三、四九歳であり、特に男の四二と女の三三歳の厄を大厄年といった。年まわりの悪い人は、一月三日か二月三日のいずれかに個人で石戸宿の厄除け大師にお参りをして護摩を焚いて厄払いをした。

写真12 真福寺 (下石戸上)

女三三の厄年には、お産が重く時によっては死ぬこともあるといわれ、他家に嫁いだ娘が三三歳になると、親元では、厄除けにウロコ形模様の伊達巻帯を贈ったという。また、女三三の厄年に、女の子が生まれると、厄に負けたといい、男の子が生まれると、厄に勝ったなどといわれていたという。
年祝いは、六〇の還暦のお祝い、七〇の古稀の祝い、八八歳の米寿の祝いなどがある。
市域では、還暦のお祝いはあまりみられないが、高尾地区のKさん(大正六年生)は、七〇歳の古稀の祝いには、風呂の釜や台所の釜などで薪の燃えの悪い時に使用する、一尺(約三〇センチ)ぐらいの長さのタケノフキ(火吹竹)を作り、お祝いのお返しとして、配って歩いたという。八〇歳の米寿のお祝いには、子が赤い帽子とちゃんちゃんこや新しい着物を贈ってお祝いをしてくれた。この時のお返しにも、タケノフキを配ったという例も中丸地区に見られた。何れの祝いも市域では内々のお祝いのようであった。

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