北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第7章 人の一生

第2節 結婚

2 婚礼

御祝儀
床の間を正面にみて右側に嫁さんが座る。女の仲人さんはその脇に座る。その下座に送ってきた客が座る。婿さんの方の下座に迎えに行った人が座る。婿さんの親は座らない。三三九度の盃事のお酌を小さい女の子と男の子がやる。婿さんと嫁さんと仲人が飲む。その後親が下座に座り、親子盃をやる。三三九度の席に出るのは迎えと送りのイチゲンの客である。本家か分家がショウバンをし挨拶する。しばらく飲んでいて、送って来たイチゲンの客にはウドンを出し、赤飯を出す。その後イチゲンの客は帰って行く。引き物にはカツブシやスルメを箱に入れてやった。仕出しは店に頼む。三三九度が終わると花嫁は、江戸褄をぬいでお召しを着て、皆に一杯注いで歩く。イチゲンの客が帰ったあと、近所の人と残った親戚の人で飲み食いする。お客に来た人はお金と下駄などの物を持って来る。
荒井では家で結婚式をしたのは、昭和三十八年で終わりだろうという。嫁が婿の家に着いたら、嫁と婿の両親だけ別の部屋に通されて、親子の盃をする。その後宴の席で、近所の男の子と女の子にオチョウ・メチョウを頼み夫婦の盃をあげる。親子・夫婦の盃は、嫁方・婿方の家両方でする。御祝儀は座敷でする。女の方のお客を上にして親戚が上座に座り、男の方はもらう方だから下座に座る。三三九度の盃を嫁、婿、集まった人がまわして飲む。式が終わると酒盛りになる。〃めでためでたが三つ重なれば〃という歌をうたう。御祝儀の宴は座る席が大体決まっている。新しい親戚(嫁方)は南側、古い親戚(婿方)は北側に座る。オイロナオシは二、三回ぐらいする。振り袖、 江戸褄の留め袖、訪問着と着替える。着替えるたびにお吸い物を新しいものに作りかえる。みな違う具を入れて飲んでもらう。嫁は最後の訪問着になったところで客の全員に酒を注いでまわる。親戚の人が三時間ぐらい宴会をして帰った後、組合の人に入ってもらい宴会をする。お勝手の座敷という。昔は仏様の前で結婚式を行った。仏様を前にして右側に嫁、その右に女の仲人、それから下に嫁の叔父・叔母と次々に座り、左側は婿、その左に男の仲人、それから下に婿の叔父・叔母と順に座った。嫁の両親は出席しないことになっていた。結婚の宴の司会をする人をショウバンという。ショウバンは客にできるだけ酒を飲ませようとする役で、出ただけは飲んでくれ、ウドンの仕度ができるまでは飲んでくれと勧める。仲人はオツモリといい、充分いただいたと挨拶し、オツモリとショウバンの間でやりあうようにする。ショウバンがしっこいほど勧めないと酒を出さないでいるように思われた。本家とか分家から一人と組合の代表一人をショウバンに頼み、嫁と婿の座に向いあった下座に座った。接待をするのに、シャクッコといって、組合の女の人二人ぐらいがいた。婚礼の宴の最後はウドンを食べる。温くしたつけウドンで、客はそれを食べて帰る。御祝儀の席ではソバは出してはいけない。ウドンはツルツルカメカメといって縁起が良いので出す。御祝儀に来てくれた人には、帰りに土産を持っていってもらう。砂糖・カツオプシ・布団がわなどで、ヒキモノという。御祝儀の日は朝から組合で一軒に二人ずつスケット(助っ人)に出るものだった。
昔は嫁さんが来ると皆見に行ったものだった。嫁入り道具を裏の座敷に飾り、披露する。Kさん(大正四年生)の御祝儀は、夜遅くなってしまったが、庭一ぱいに見物人が来て、夜明かしで婚礼をしたものだった。見物に来る人にもお茶と菓子に煎餅とかをくれた。全く関係のない見物人も来る。遠くの方から若い衆が集まってくるので、その人達にも酒をふるまう。その人逹を庭イチゲンと呼び、庭で飲んでもらう。酒とツマミを出さないと戸をガタガタさせたし、酒が足りないと「庭イチゲンに酒が足りない」と文句を言いだした。障子を閉めると、若い者がひやかしに穴をあけたりするもんだから、若い衆に酒をふるまって外で見ているように言った。ご祝儀のときは障子は開けつ放しにした。評判の悪い家などは、祝儀の席に墓石を持ち込まれたりしたことも以前はあった。とにかく以前は夜の十二時・一時まで、近所の若い衆が外(庭)でキンピラをサカナに酒をふるまわれたという。

<< 前のページに戻る