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第7章 人の一生

第1節 産育

お七夜
生後七日目の日をオシチヤ(お七夜)といい、アカッコ(赤子)を連れて井戸神様、便所神様など家の外の神様にお参りする。また、メイメイシキ(命名式)といって、生児に名前をつけた日でもある。この日には、産婆さん、近所の女の人、実家を呼んでお赤飯を炊き、御馳走を出してお祝いをした。
荒井地区では、宮司さんに五つぐらい名を書いてもらい、それをコヨリ(紙撚)にして桝の中に入れ、その家の主人がくじ引きをしてえらび出しその名を付けた。朝日地区でも住職が三つぐらいの名を紙に書きこれをコヨリにし、桝の中に入れくじ引きで決めたりもした。また、荒井地区では、産婆さんが三つぐらいの名前を用意してきて、その家の主人がその中から選んで名前をつけることもあったという。名前が決まると、その家の主人は半紙に命名長男(長女)〇〇と書き、お七夜の朝、大神宮様の神棚にはりつけ、お七夜に集まった人々に御披露目をする。これには、神意に基づいてできるだけ良い名をつけ、また、生まれてきた子どもに神の加護があるようにとの思いも込められているのだろう。
お七夜の日に、便所神様にお参りすることをセッチンマイリ(雪隠参り)とよんでいる。セッチンマイリは、嫁さんの実家から届けられたシチヤギモン(七夜着物)といって、麻の葉模様の産着(男子は青色、女子は赤色)を着せた赤子を祖母や産婆が抱き、赤子の頭におむつをかぶせ、ヘソの緒、オサゴ(米)、鰹節を半紙に包みオヒネリにし、麻紐(妊婦が髪を結んでいた)で、箸に結び付けたものを持ち、赤子と一緒に便所へお参りする。「下の病にかからないで、丈夫に育ちますように」と願いを込め、便所の屋根裏の垂木に刺して帰ってくる。高尾地区では、ヘソの緒と一緒に産毛を入れたという家もあった。
祖母や産婆が赤子の頭におむっをかぶせたのは、チブク(血服)が晴れきらないために物忌みの姿をとらせたものである。母親が神参りをしないのは、出産によりチブクがかかっているので、産明けまで神参りをしてはいけないといわれているためである。また、お七夜までは、母親と赤子は、陽の光に当たることを禁じられていたので、頭におむつをかぶせて陽の光を避けたともいわれている。
また、荒井地区のTさん(大正十一年生)の話では、ある子どもが三歳になって良くしゃべるのに、おしっこだけは覚えてくれなかったので、小見野神社(川島町)に相談に行くとセッチンガミ(便所神)によくお参りしていないからだといわれたため、塩をまき丁寧にセッチンガミを祭ったら直ったそうだ。
このようなセッチンマイリは、関東から中部地方にかけて行われているという。セッチンマイリの儀式が終わると、この日に用意した小豆飯、うどん、テンプラと酒を出し、仲人、産婆、組合の人たちに御馳走をし、産婆には、出産にかかった費用の清算をした。お七夜が過ぎると、産婆とのその後の付き合いはほとんどみられなくなり、一応一区切りとなった。
このような儀式も市域では、昭和十五、六年ころからは、行われなくなってしまった。出産も産婆さんに頼むよりも近代設備の整った産婦人科などの病院で、行われるようになり、また、住宅事情も変わり便所も家の中に造られるようになったからであろう。

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