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第8章 信仰

第1節 神社

1 市内の神社

下石戸上、下
下石戸上の神社は『風土記稿』によると、上、下の鎮守の氷川社と天王社の二社で、氷川社には「村内修験楊門院の持」、天王社には「下石戸下村修福寺の持」とあるのみである。
郡村誌』になると、村社氷川社はそのままで、『風土記稿』の天王社が見えなくなり、新たに愛宕社が現われてくる。また、『風土記稿』には何もなかった下石戸下に新たに八雲社と金刀比羅社が現われ、八雲社については「元文三年三月勧請す」とある。
『明細帳』を見ると、村社氷川社に、愛宕社の他に須賀社も合祀されている。あるいは、この須賀社は『風土記稿』の天王社が続いてきていたものではないかと思われる。氷川社にはこの他に、二ッ家の稲荷社二社・八雲社・琴平社が合祀されているが、これらの社は『郡村誌』以前には見当らない。下石戸下では『郡村誌』の金刀比羅社が見られなくなり、新たに稲荷社・天神社・諏訪社が現われてきている。しかし、琴平社は現在も存在し、『郡村誌』の金刀比羅社がそのまま続いて来ているのではないかと思われる。稲荷社・天神社・諏訪社は『明細帳』にそれぞれ崇敬者一人となっており、調べた限りでは個人の氏神となっているようである。
現在、下石戸下で祀られている神社は、旧村社氷川神社・八雲神社・琴平社である。
旧村社氷川神社の祭神は素戔嗚尊であるが、他に合祀された祭神として軻遇突智命(かぐつちのみこと)・稲倉魂命・大物主命が祀られている。地域の人は氷川様と呼んでいる。

写真12 氷川神社(下石戸上)

氏子範囲は下石戸上、下であるが、下石戸上の南は便利さということから、荒井の須賀神社の氏子になり、下石戸下の二ッ家は、新興住宅がたくさんでき、昔からの人がわずかで離れてしまい、氏子とはなっていない。ただ、氷川神社の祭典には、もと氏子だったということから、二ツ家の世話人を来賓として呼ぶことになっている。
総代は氷川神社・八雲神社両社を兼ねており、原組・上手組・下組より各一名ずつの三名で、任期は三年、選出はそれぞれの組で総会の時に話し合い、決められることが多い。昔は同じ人がずっとしていたが、近年は交代するようになった。下組は台原と下久保とに分かれている為、総代は三年ごと交代で出している。
世話人は各組四名ずつで一二名おり、これも各組ごとで選ばれるが、みなおおよそ順番になっていて、一年交代である。下組では台原と下久保とで二名ずつ出している。
祭り費用はサシを回して祭りの前に集める。近年までは縄を回覧で回して、これにお金をくくりつけて集めた。
年間行事は次の通りである。
一月一日・元旦、四月二十一日・春祈禱、五月十五日・塞ぎ、日時未定・氷川神社自然環境緑地保護地区指定地の手入れ清掃、九月二日・灯籠、十月十五日・灯龍、十二月中旬・大祓
元旦(一月一日) 午前九時総代・世話人が集まり、神社の清掃・注連飾りをする。
春祈禱(四月二十一日) 戦後少し位まで、神楽をあげたりしたこともあった。
塞ぎ(五月十五日) 辻札を出すので、各組の世話人が頂いて帰り、竹にお札を挟み、杉の葉を水除けに逆さにかぶせて辻に立てる。
氷川神社自然環境緑地保護地区指定地の手入れ清掃は、総代・世話人だけでやってしまう。
灯籠(例祭・九月二日) 午前八時総代・世話人が集まり、清掃を行い、午後三時から神主が来て御祈禱を行う。タ方から婦人による民謡踊り・若い衆による囃子の奉納となる。
灯籠(十月十五日) 総代・世話人が午後集まり、神主が来て御祈禱する。夕方より囃子奉納。
大祓(十二月中旬)総代・世話人が午後神社に集まり、神主が来て御祈禱するだけである。
九月二日の氷川様の灯籠(例祭)以外は、大体総代と世話人が集まって、神主に御祈禱してもらって終わるだけになっている。
八雲神社の祭神は素盞嗚尊で、地域の人は天王様、あるいは下石戸の天王様と呼んでいる。
氏子範囲は旧村社氷川神社と同じで、総代・世話人も同じである。ただ、この八雲神社は疫病の神様として信仰する人が多く、近隣はもとより川越の方からもお参りの人が来ていたという。
年間行事は次の通りである。
一月一日・元旦、四月二十一日・春祈禱、六月十四日・五月灯籠、七月十四・十五・十六日・祇園祭、十月十四日・灯籠、十二月中旬・大祓
元旦(一月一日)、春祈禱(四月二十一日)、灯籠(十月十四日)、大祓(十二月中旬)の祭りは氷川神社とほとんど同じである。
五月灯籠(六月十四日) 午前八時総代・世話人が神社に集まり清掃作業をする。午後三時頃から神主の御祈禱が始まり、午後六時からは囃子の奉納がある。この時には、必ず胡瓜の初物を供える。自分の家で胡瓜を作っていなければ、買ってでも供える。

写真13 八雲神社祇園祭の神興(下石戸下)

この五月灯籠は夏祭のはじめといわれ、祇園祭の下話が始まる。以前は若い衆が余興の話し合いなどをした。今も世話人が祇園祭の余興の話をする。
祇園祭(七月十四・十五・十六日) 十四日は午前八時に総代・世話人が神社に集まり、拝殿・社務所を清掃し、注連飾りなどを行い、その後はお参りに来たり祈願に来たりする人の接待する。
また、神輿を出して飾り付けをし、神主により御魂移しを行い、神輿棚へ移す。この夜は御魂の入った神輿が出ているので、世話人が三名程宿直をする。
十五日午前六時朝囃子、午前中は各組の御札の確認などをする。午後二時より神主が来て、御祈禱の後夕方より囃子、子ども会・婦人部の民謡踊りの奉納が行われる。
戦前までは、祇園祭は十四日〜十七日まで四日間もやり、神輿が各戸を一軒ずつ回った。戦中から戦後は出荷所に来るだけになり、やがていくらか神輿が回るようになったが、神輿が暴れ回り、町の方まで行っていろいろ面倒を起こすようになったので、昭和三十年過ぎから神輿を出さなくなり、神社の庭に飾るだけになった。それでも、神輿をしまう時には、地元の人だけで庭でもんで、それでしまうようになっている。
婦人部の踊りも囃子も済み、総代の挨拶も済んで、神輿をしまって祭が終わる。
十六日は祭のあと始末で、総代・世話人で決算書を作り、慰労会となる。その後、七月二十四日が天王講で、今は日曜日を利用しているが、この日に各組で氏子に決算報告をして、祭がすべて終わることになる。
祇園祭を脈やかにする囃子連は、上手・下組・原の三つであったが、昭和五十一年から休んでいた上手の中の北原が復活して加わり、四つとなっている。
この祇園祭には、各家で小麦饅頭と手打ちうどんを必ず食べる。
祇園祭について、昭和三十年過ぎから今のようになる以前の祭の様子を記した『北原囃子連のあゆみ』の中の「余録・八雲神社神輿渡御」がある。そのころの祭の様子がよく分かる記述なので、次に引用しておこう。
「抑も々々八雲神社の祇園祭の起因は、明治初期より始まる。氏子の原組、上手、下組、北原、谷足、二ッ家各地区の組織により五穀豊穣、疫病除の守り神の夏祭りの行事として神輿の各戸を渡御めぐりをす。七月十四日を灯籠祭りとし、十五日は遠近より参拝者多き為居祭りとす。夕刻より吉田時三郎宅へ神輿、囃子共々集結し、十六日からの村廻り渡御に付いて神社世話人、及び輿掛各地区囃子連一同に会して打合せ、御神酒をいただき盛況を極む。明けて十六日朝、出発合図の花火と共に氏子勢揃いし、宮司を先導に愈々各戸村廻り渡御始まる。各地区有志の家庭では、御神酒を用意なされ、土足で座敷に上りこみ、唄や踊りで頂戴す。廻り順路は上手地区をスタートに北原ー谷足ー八雲神社にて休憩ー原地区ー川田谷(信仰者宅)を巡り、下久保の五味定右衛門宅へ送り(概ね十二時過ぎ)通称五味さん灯籠と云い、近隣よりの善男善女で賑わった。ここで十六日のコースは終了、明けて十七日朝、再び花火合図で集合、第二日目の渡御始まる。一路、当時通称桶川ッ原の山路を遙々桶川町内の信仰厚き宅(約五十戸位)を祈禱廻りして、概ね三時頃再び地元へ戻り、二ッ家で休憩、渡御下久保地区より一台原ー勝林各地を一巡す。
時、既に十一時を廻る。勝林地区を最終に、それより神社まで山送り渡御、拝殿に神輿を安置、宮司により本殿に神輿から御遷宮し終って宮司の労をねぎらい胴上げし、参会者一同三拍子を以て手〆をす。この間、祭典十四日より十七日の山送りまで囃子連、若衆も神輿のお伴をして祈禱の信念に一貫し、神社世話人、囃子連共々和気あいあいの内に総ての行事を終る。
こうした明治初年以来風潮を問わず連綿と九十余年も続いた村廻り行事も時代の変遷に伴い昭和三十四年を以て一応休止となり鎮座祭として現在に至る。
昭和五十五年八月」

写真14 琴平社(下石戸下)

琴平社の祭神は大物主命(おおものぬしのみこと) で、地域の人は金刀比羅様と呼んでいる。
鎮祭の時期は不詳であるが、『神社』では「農家の人達が伊勢参りの際、四国の金比羅社に参拝して、その時勧請してきたものらしい」とあり、また大蔵寺との関係について「境内の土地は農地解放前、下石戸下の大蔵寺の所有であったが、現在は氏子の所有である」とある。
氏子範囲は、台原と下久保を合わせた下組で、下組の神社総代と世話人が兼務している。
諸費用は、奉納がかなりあるので祭りの時のサシとでまかなえてしまう。
祭りは、二月十日が朝金比羅で、朝早く囃子連が行って囃子をたたく。大蔵寺の住職が来て、御祈禱して終わるだけである。
九月九日夜が灯龍で、婦人部の踊り奉納や囃子も出る。この時も大蔵寺の住職が来て、御祈禱してくれる。
昭和四十八年に総代であった台原の長島元重氏のメモが少しあるので、以下引用してみる。
「〇昭和四八年九月二日、琴平社の件、事前打合せ
午後七時二〇分頃、氷川神社祭礼当日、氷川神社社殿で、総代、世話人五名参集。
九月九日朝八時、全員草刈りを呼びかける。
お札一〇〇枚、大蔵寺へ印刷依頼、当日午後八時大蔵寺祈願依頼。
当日世話人は午後六時集合、打合せる。
九月九日、琴平社
朝午前八時から草刈実施。
午後六時、世話人集合」

(資料)下石戸上、下八雲神社氷川神社行事関係綴り
前述した下石戸上、下の旧村社氷川神社と八雲神社について、ここに昭和四十八年六月十四日から五十一年六月十三日まで三年間、台原の総代をつとめた長島元重氏の詳細な忘備録がある。表題には「昭和四十八年六月十四日起 昭和五十一年六月十三日任期満了 八雲神社・氷川神社行事関係綴台原地区総代長島」とある。
内容について見ると、詳しく書かれている部分もあり、ごく簡略な部分もあり、又行われている行事で記述していない部分もあるが、神社役員が神社のことでどの様に活動しているかが良く分かる。特に八雲神社の関係では、昭和四十八年二月の社務所改修の趣意書以降、鳥居の再建まで、神社役員の奔走する姿が良くうかがわれ、大変興味深い。
以下、大分長くなるが、適宜取捨選択しながら記していってみたい。
まず昭和四十八年度を始めるに当って、昭和四十八年二月付をもって氏子に回された「八雲神社々務所改修趣意書」を以下に掲げておく。この「趣意書」に従って寄付金が集められ、四月八日に工事が着工され、六月二十日に完成している。この問の状況については資料がないためよく分からないが、その結果は書面をもって氏子に報告が行われており、その報告書は後に掲載することとする。
<昭和四十八年度>
八雲神社々務所改修趣意書
三月の声も間近になりましたが今尚寒さきびしき折から氏子皆様には益々ご清栄のこと、お喜び申し上げます。
さて、この度当大字下石戸氏神として古来より受継がれて参りました八雲神社の社務所も建設以来五十有余年其の間何回かの修繕もなされておりますが最近は老朽化に依って全体的に損傷してゆきますので、これの対策を事ある毎に協議対処して参りましたが当八雲神社も世相反映のなかにあっての財源難から充分の施策も講じられぬま、今日に至りましたが特に屋根瓦の損傷甚しく雨もりの防ぎようも無い現状にございます。
つきましては地区内氏子皆様方のご芳志を仰ぎ応分の奉賛寄進を戴いて、せめて雨もり並びに特に著しい損傷筒所だけでも応急処置を講じ、これ以上の老朽化促進を防止致したいと存じます。
ささやかながら郷土の歴史を残す一助として又最近喧伝されております自然緑化保全にも恰好な場所と思いますので氏子皆様と共々八雲神社のご奉安に努力して参りたいと存じます。何卒深いご理解とご協力をお願い申し上げます。
因みに今回の費用概算は
 一、大工、土建工事費 二五〇、〇〇〇円
   屋根裏、たる木、天井板、床板、土台廻り等損傷简所の補修、便所修理其の他
 一、板金工事費 一八〇、〇〇〇円
   古い瓦葺屋根をトタン葺に改め、損傷土壁をカラートタン張りの化粧にし、雨どよ等を含めて
 一、建具費 三五、〇〇〇円
   雨戸、障子の取替い又は修理
 一、必要雑費 三五、〇〇〇円
   合計金 五〇〇、〇〇〇円也
以上大変粗雑でございますが最低概算を見積り致した次第です。尚奉賛寄進につきましては後日各地区世話人が毎戸お伺いいたしますが、ご迷惑ながら何分のご配意賜りたく重ねてお願い申し上げます。
 昭和四十八年二月
  八雲神社総代 関根六三
   同 大沢恒明
   同 吉田正一
   同 世話人一同
〇六月一〇日 午後長島元重宅にて総代引継
・引継書類 神社行事綴一冊
任期 総代任期三年とする。
下久保世話人の交代、毎年六月一三日交代、五月灯龍の六月一四日より新規世話人となる由、従って今回の総代の就任は五月灯籠の六月一四日よりとなる。
・五月灯籠について
世話人の集合 午後六時 但し下久保・台原の世話人は当番のため、当日は一時間前、午後五時迄に集合との事、総代は午後三時集合とのこと。
・七月の夏祭(祇園祭)
幟立てについて 今後は地区担当実施の由、従って七月一四日 (幟立て)、七月一六日(幟返し)、下久保・台原地区担当の由。
六月一三日は天王社掃除実施の日 本四八年は六月一〇日(日曜)実施済との事。
二ッ家世話人招待について 四月二一日春祈禱・八雲氷川社(天王様で)、九月二日例祭・氷川社(氷川様で)、九月二日の氷川神社の例祭には新規の世話人出席の由。
〇六月一四日 五月灯籠
・午後八時二五分 社務所(天王社)にて夏祭(祇園祭)の打合せ。
総代三名、世話人一二名集合。
余興は婦人部に依頼することに決定、七月一四日タ七時、七月一五日昼三時・タ七時、三回。
祈祷料について。
本年は遷宮祭実施のため、花火打上げる事となる、七月一五日だけ、一五発。
御遷宮式、七月一五日午後三時挙行。
記念品、総代一任となる。
婦人部へ謝礼 原・上手・下久保・台原・北原の五地区。
寄附芳名者一覧表、記入方法、揮毫者謝礼額は総代一任。
おわりにダンゴ、おでんで一杯、途中若衆(囃子連)に総代挨拶する、更に囃子連役員から夏祭について内容再説明方要請あり、再度行う。
午後一〇時散会。
〇七月一日 総代会議
・午前八時 関根総代宅で、総代三名出席、八雲神社々務所
改修竣工に伴う遷宮式挙行について。
日時 昭和四八年七月一五日午後三時
内容 招待者数、招待内客(肴、其の他)、若衆手当、婦人部手当(いづれも一寸謝礼)等を話し合う。
収入・支出 別表(後出の書面)の通り。
招待者連絡方法等、其の他。
招待人貝
社務所ー神官、総代、世話人、前総代、前世話人 計一九名。
地区ー二ッ家、南、北原、勝林、谷足、計一〇名。
区長ー台原、下久保、原、上手、二ッ家、南、北原、勝林 計八名。
篤志ー揮毫者、解説会、スポーツセンター 計三名。
工事関係者ー五名。
合計五五名。
盛夏を迎えまして氏子皆様方には益々ご清栄のこと、お喜び申し上げます。
扱て今回の八雲神社々務所改修に当りましては過般来、多大の御芳志を賜り奉賛寄進を戴きまして厚くお礼申し上げます。
お陰をもちまして予定通り無事改修も終ることが出来ましたので、略儀ながらお礼旁々左記工事並びに収支の概要について御報告申し上げます。

工事について
 一、工事着手 本年四月八日
 一、工事完了 仝 六月廿日
 一、工事関係者
  木材工事 諏訪建設
  板金工事 諏訪板金
  電気工事 吉田電気店
  塗装工事 岡村塗装店
  建具工事 田沼建具店
其の他工事手伝 総代及世話人外氏子代表延人員三五名収支について
 一、収入の部
  一金八〇八、六〇〇円也 奉賛寄進金
  関係地区名 上手、原、台原、下久保、南北原、北原第一、勝林、二ッ家、外
 一 支出の部
  一金一三六、〇〇〇円也 大工費
  一金二二六、七八〇円也 材料費(主として木材)
  一金一三五、三〇〇円也 板金工事費
  一金 一五、〇〇〇円也 内装費(主として電燈、塗装)
  一金 六九、二五〇円也 建具費
  一金 一五、八〇〇円也 備品費(ダンツ—、外備品の一部)
  一金 二八、七〇五円也 雑費(工事手伝の昼食代、茶菓代、謝礼金、印刷費その他)
  一金一八一、七六五円也 残金
(備考)残金に関しては七月十五日祗園祭をかねて改修御遷宮式を挙行致し度くにつき、記念品代其の他式典費に充当させていただき、更らに残余は神社維持費にくり入れさせていただく予定でご座います
 昭和四十八年七月十日
  大字下石戸八雲神社
   社総代 関根六三
   〃   長島元重
   〃   吉田正一
   同   世話人一同
〇七月一四・一五日 祇園祭
・ 一四日 幟立て朝食後、本年から地区担当制、下久保・台原当番、従って七月一六日の幟返しも同様である(但し正月は全地区で実施、新年初顔合せのため)。
立て・返し分として酒二升・肴代、世話人渡し。
囃子連、原組・上手組奉納。
婦人部の踊り奉納、七月一四・一五日の両日、原組・上手組・北原組・台原組の四組奉納。
一五日 花火一五発。
特に本年は社務所改修に伴う遷宮式を兼ね午後三時挙行。
午後一〇時解散。
文字通り二日間は猛暑であった。
・ 一六日午前、勘定、中食後午後二時散会。
〇八月二六日 氷川神社祭礼に伴う清掃実施について
午前八時、総代・世話人全員集合、各人鎌持参(理代に子連れの婦人出動する)。
九時過ぎ、コーラー本宛、堅焼煎饼一枚宛及パン一個宛配布(子供も含む)。
・九月二日祭礼当日について
当日は当番原組、当番世話人は当日午前八時集合、掃除実施のこと。
其の他の世話人は午後五時から祈願式挙行のため、四時三〇分頃集合のこと。
各組のお客招待連絡割当。
〇九月二日 氷川神社祭礼
午後五時祈願式、当日は五時頃から雷雨模様となり、五時一〇分から風雨共に甚しくなる、午後五時一〇分〜三〇分迄の二〇分間、雷・風・雨相当であり、在社の全員社殿に避難す、午後五時三五分頃から風雨止む、午後六時頃から出足を止められた世話人・お客出席、世話人は飾り付の補修、庭掃除実施、午後六時二五分祈願式執行(玉串地区毎代表のお客・世話人・総代全員奉奠)、午後六時四〇分終了、ひき続きその場で御神酒頂く、各人すし折・かつ・フライ等の盛付一皿、酒・ジュース、午後七時二〇分頃終了。
午後八時頃から囃子本格化、原・上手組。
婦人部踊り台原・原・上手・北原の四組。
午後九時二〇分頃、総代挨拶、婦人部北本音頭二回連続奉納、解散。
直ちに原・上手組共、囉子棚こわし実施。
社殿戸締りの上、午後一〇時三〇分解散。
〇ー〇月一四日 八雲社秋祭
当番、上手
〇一〇月一五日 氷川社秋祭
当番、台原・下久保、当番は昼食後に集合、準備にあたる。
〇一二月九日 氷川社・八雲社大祓
総代より世話人宛、連絡控
「大祓の行事について
大晦日に行われる氷川社八雲社の大祓の儀、本年は左記に依り挙行の旨連絡ありましたので、御繁忙中恐縮ながら御協力の程御願い申し上げます
日時 明一二月九日、午後一時
場所 八雲社
其の他 全員にて清掃その他実施後、大祓の儀に移りますので、時開厳守御参集下さい」
<昭和四十九年度>
〇一月一日 幟立て
午前八時三〇分、氏子全員にて。
幟立て終了後、世話人でメ飾り実施、午前九時過ぎ終了。
午後三時から幟降し、世話人丈で実施。
・一月二〇日、幟返し、午前八時三〇分、氏子全員で実施。
〇二月三日 氷川社附近山林清掃実施
午前八時三〇分、氷川社付近緑地区指定に伴う下刈り、世話人及若衆世話人で実施。
〇六月一四日 五月灯籠
午前八時、総代・世話人集合、清掃実施。
社・室内掃除、午前九時二〇分終了、解散。
総代一人残留、他の総代は午後五時から、世話人は午後五時三〇分頃より集合あり。
午後七時頃、若衆の囃子あり。
午後七時過ぎ、祈禱実施。
・午後八時過ぎ、世話人会、社務所にて 祇園祭の打合せ
余興は前半同様婦人部の踊り決定、七月一四日夜、七月一五日午後から。
祇園祭前、掃除(除草を兼ね)を実施する、日時は後報するー協力方。
神輿用小提灯の四個新調について。
七月一四日夜の赤飯一飯台、上手組当番(五升)。
お供 業者に依頼する。
祈禱料。
幟立て、上手組当番。
今迄都合で休んで居った下組囃子連、本年から従前通り参加するので協力方依頼する。
別冊各組宛調整の祈禱名簿、七月一〇日迄に申込みのこと。
〇七月七日 柢園祭前の八雲社(天王社)清掃
午前九時、総代三名、世話人一二名 計一五名参集。
休憩一〇時三〇分から、本日淸掃進度に拘らず午前中で中止すること、散在する空缶は一ヶ所に集めること。
・祇園祭、赤飯(一四日夜の分)は原組担当する(餅米五升、金時五合)、お供餅は商人に注文する(米三升)、幟は上手組当番(立て・返し共)、祇園中の当番は全員で当る、一四日全員午前八時集合のこと。
正午サイレン迄淸掃実施する。
〇時一〇分、解散。
〇七月一四・一五日 祇園祭
囃子連(若衆)タ六時から、婦人踊り夕六時から。
世話人、午後三時集合(世話人は出向後、祈禱札に氏名記入のこと)。
会計係、各組より一名づつ(収支記入)。
祈禱、一五日午前一一時挙行、お客確認、又通知者確認。
当番及宿泊、世話人話し合いで、当番一四日上手組、一五日下組、一六日原組、一四日の宿泊各組二名づつ話し合いで。
囃子連へ謝礼。
〇一一月付氏子宛、八雲社本殿・拝殿の補改修、神輿保存庫
設置に関し諒承を求める文書
謹啓 向寒の折にも氏子皆様方には益々御健勝の事と存じお慶び申し上げます。
扱て過般の八雲社々務所の改修には多大の御配慮を賜る等常日頃八雲氷川両社の護持に御協力の程深謝申し上げます。
懸案中で御座いました八雲社本殿並びに拝殿の補改修(本殿土台の腐敗及雨漏。拝殿の腐朽並びに社務所の一部手入)更に神輿保存庫設置等(現在の神輿を新規購入の場合三、〇〇〇万円の由)以上の事柄につきまして祇園祭の頃より検討を進めて参りました。
亦更には八雲社鳥居附近の杉芯枯も一段と進み其の危険度も増して参りました。
右諸懸案について世話人会で慎重審議した結果次の通り一案を決定いたしましたので氏子皆様方の格別の御協力御賛同を賜れば幸で御座います。
  記
一、枯杉四本伐採処分する(但し神社庁の許可必要)
一、八雲社本殿、拝殿、屋根補改修並びに社務所の一部手入等を実施する。
一、神輿の保存庫建設する(別棟耐火建設とする)。
以上の経費は杉代金で概ね充当出来る見込ですので御諒承頂きます。
尚細部は世話人に御伺い頂きます。
 昭和四十九年十一月
  八雲神社
   神宮総代 世話人一同
 氏子各位
<昭和五十年度>
〇一月一日 幟立て、
午前九時全貝にて実施、一〇時御神酒(二升)、つまみ・せんべい。
一〇時〜一〇時三〇分、世話人・総代で格納庫の報告、屋根は今迄の設計を変更、本殿修理関係を話し合って解散。
一一時〜〇時三〇分、総代の一人八雲神社参拝者のため当番、〇時三〇分より総代交代。
〇一月一九日 織倒し、午前九時氏子全員集合、総代の一人不幸のため不参、幟・付属品格納滞へ。
〇四月二一日 春祈祷(おいばな)
氷川社、午後二時集合、氷川社祈禱後、八雲社祈願、八雲社で会食。
〇五月一五日 氷川社(ふせぎ)一社
相談事項ー緑地保護地域として指定の山林の掃除実施について話し合い、来る五月一八日午前八時より(男子)全員にて実施話し合い、尚当日は午前中終了を目途とする。
〇五月一八日 氷川社(緑地自然地区草刈り)
午前八時、世話人・総代集合。
緑地保全地区の下草刈実施、各人鎌持参、下久保二名、台原二名、上手は世話人四名の他に一名出勤、原は世話人が一名欠席で三名の他に一名出勤、総代三名、計一六名、用意の熊手二本、山鎌三丁使用、農薬除草剤散布、午前九時過ぎ休憩、午前一〇時四〇分終了、肴盛付用意、煙草一ケづつ、ジュース、煎餅。
〇六月一四日 五月灯籠
収入ー差し、祈願料外(祈願料、札料、をろう代)賽銭、奉納(酒五升)
支出ー石見屋外(酒、竹ボーキ、万年ボーキ、電球代、神官・総代夕食代、ローソク代、お茶菓子代、便箋等)、祈禱料、囃子連(肴、酒)、世話人肴代
・五月灯籠における世話人会
祇園祭の余興に関して、若衆に余興を頼めるか、婦人(舞踊)・婦人部(民謡)・子供(少年少女)の民謡・童謡の奉納協力をお願いする。
祇園祭前の掃除について(八雲社境内)、六月二九日午前八時より実施、小雨決行、世話人実施、各人鎌持参のこと、午前中に終了したい、中食は用意すること(弁当)、当日午後一時より引続き若衆・婦人代表で祇園祭余興の件を相談決定することとする。
七月一四日夜の赤飯について、一飯台、原組で用意、餅米五升、金時五合。
お供え、業者に依頼(加工依頼)、米三升とする。
祈禱料。
幟立て・返し、原組担当(五一年祗園祭下組)、七月一四日朝、七月一六日朝。
当番、祇園祭中は全貝当番とする。
世話人集合について、七月一四日午後八時より、七月一五日午前八時より。
その他、七月ー四日、七月一五日余興(集合)。
以上を全員一致で決定して、午後一〇時三五分終了する、
原組後整理、午後一〇時五〇分解散。
〇六月二九日(日) 八雲神社清掃実施(除草)
世話人一二名、総代三名、計一五名。
庭全域除草剤散布、奥の院手取除草実施、一〇時小憩、一〇時三〇分終了、一一時中食。
・ 二時〜三時、世話人・総代・若衆代表で祇園祭余興話し合い
世話人全員、七月一四日八時集合。
幟立て、一四日朝原組、織返し一六日朝原組で(五一年下組で)。
本日、祈禱申込名簿作成、世話人渡し。
七月一四日、赤飯一飯台(餅米五升、金時五合)、夕七時頃迄。
お供え、業者依頼(餅米三升)
祇園中の当番、一四日下組、一五日上手組、一六日原組。
柢園中の各組の会計係。
七月一四日宿直、各組二名ずつ依頼。
上手組、山車新調に伴う祈禱(お祓い)七月一四日午前一一時実施。
祈嗣、七月一五日午前一一時実施。
七月六日、神輿棚補修のため世話人全員集合、組立て用意する。
〇七月六日、神輿棚組立について
午前八時五〇分頃、総代・世話人・棟梁集合、午前一〇時頃迄待機するも爾止まず、午後三時迄に雨止んだ場合は世話人集合することを申し合せ散会する。
午前一〇時過ぎ霖雨となるので残留者で神與棚組立て、棟梁外一名作業の上、大方の組立完了、中食、屋根工事だけとなる、棚口ープ締め。
・午後一時更に若衆・婦人代表集合、二時〜三時祇園祭余興打合せ
婦人主力で、子供の参加、若衆の飛入り実施。
婦人部とせず、主婦の主力(氏子としての)で実施奉納を再確認する。
七月一四日、子供六時集合、婦人七時集合、上手山車八時入場。
以上を打合せ、午後三時過ぎ解散。
〇七月一四日 祇園祭
午前八時集合、幟立て、原組。
世話人当番、一四日下組、一五日上手組、一六日原組。
一四日の赤飯、一飯台(原組、餅米五升、金時五合)。
お供え(餅米三升)。
特別祈禱(修祓)上手組山車新調のため、午前一一時実施
赤飯(午後九時配分)、若衆お盆盛り一ケ宛(三組に)三ケ、酒・肴代三組へ、婦人部お皿盛付ニケ宛(四組)八ケ。
余興、子供六時三〇分、第一回実施、山車九時入場、余興終了午後一〇時。
宿直三名(各組話し合い実施)、明朝五時又は六時交代、正午迄休む。
一般八時集合とする。
午後一一時五分散会する。
〇七月一五日 祇園祭
宿直者の交代、一般世話人八時頃から。
午前一一時一五分、祈禱祭、北原第一、北原第二、谷足、勝林代表参列、終了後すし折で御神酒。
午後六時三〇分から子供達の北本音頭、婦人踊り、下組八木節踊り、原組・上手組旅笠道中・九段の母踊り、午後一〇時余興終了。
神輿納め(若衆鳥居付近神輿、庭でもみ)。
神官、総代、世話人代表挨拶、手打ち、神酒、神官胴上げ。
午後一〇時三〇分、無事終了解散。
〇七月一六日 祇園祭精算
午前八時集合、幟返し(原組)。
決算。
〇八月三一日 氷川社掃除及除草剤散布、午後引続き八雲社除草剤散布
午前八時集合、八時一五分〜一一時除草、総代・世話人全員で実施、一〇時小休止、最終で除草剤散布。
・打合、一一時〜一一時三〇分
九月二日の氷川社祭礼について、当日は準備のため八時集合、祈禮午後四時から、囃子午後六時から、婦人踊り午後七時から、当番下組世話人は午後から準備。
お客、南二名、北原二名、二ッ家二名の計六名。
・懸案の八雲社改修関係
神輿屋根、本殿土台、拝殿改修。
八雲社鳥居の件、老朽化のため危害防止からも補強亦は再建必要、鳥居の件は地区の課題として検討方。(傍点筆者)
一一時三〇分解散。
引続き、世話人三名、総代三名、計六名で八雲社除草剤散布、二時三〇分〜二時四五分迄、終了後サイダー 一本宛・菓子ー包宛、尚世話人には煙草及謝礼。
世話人二時三五分解散、総代二時四五分解散。
〇九月二日 氷川神社祭礼
午前八時、世話人・総代集合、本殿内淸掃実施、終了後万灯の張替、一一時三〇分終了、準備完了し解散。
・若衆囃子連、各組棚建て、上手組は午前六時より実施完了、原組・下組は午前九時頃より着手、一一時一五分頃解散、原組は一一時三〇分世話人解散後も残留す。
・午後三時三〇分、当番世話人出向のこと(下組)、一般世話人、午後四時出向のこと。
祈禱、午後五時実施、出席、総代・世話人・お客ー二ッ家(二名の処一名)、南組(二名)、北原第一(一名)、北原第二(一名)、計五名出席。
祈禱終了後五時三〇分から、肴ーかつ盛付(とり足)、すし折、サイダ—、煎餅、最中、酒。
午後六時より囃子連、上手組(少年〜学生、練習中参加)二組で実施、六時三〇分頃から本格化。
原・下組・上手の三組、午後七時頃から。
婦人踊り、原・上手・北原・下組の四組、午後七時三〇分頃より実施、踊り午後九時三〇分婦人代表挨拶して終了。
直ちに各組棚整理、午後一〇時引上げ完了。
世話人・総代、午後一〇時五分解散する。
〇一〇月一四日 八雲社祭礼
早昼後、正午八雲社集合、八雲・氷川両社二班に分れ掃除実施。
午後三時前、清掃終了して八雲社集合。
午後四時三〇分、八雲社祈禱実施、世話人五時から一杯(当番上手組)。
囃子、原組六時集合、開始、七時一〇分終了、七時二〇分解散。
・八雲社において、八雲社鳥居の件、鋼管(亜鉛メッキ)・石、二案話し合い。
〇一〇月一五日 氷川社祭礼
午後四時三〇分、祈禱実施。
世話人、五時から一杯(当番原組)。
囃子連、上手組五時集合、開始、六時終了、六時一〇分解散。
・終了後、三総代話し合い、大祓迄に鳥居の件、趣意書作成合意。
〇一一月二三日 八雲社鳥居関係打合せ
午前九時四五分〜一t一時三〇分、農協会館に総代三名参集。
年末大祓の儀、実施日時、昭和五十年一二月一四日、午後一時集合(早中食の上、八雲社え)、集合終了後、二班に分れ、氷川社・八雲社両本殿内部淸掃実施、約一時間予定。
神官、午後二時三〇分、八雲社え。
両社実施の場合は、氷川社を午後三時から、引続き八雲社実施を予定する、終了後、八雲社で御神酒を頂くこと。
格納庫屋根、本殿補修の件、棟梁に至急実施を依頼することとする。
鳥居の件、別紙(図面・文書ー後出)参照打合せ、大祓当日本原稿に基き、世話人会の意見を徴す、決定の上印刷して世話人より氏子中外奉賛を煩す。
以上話し合い、午前一一時三〇分解散。
〇一二月一四日大祓の儀
午後一時、早中食で集合、八雲社、午後一時三〇分主力が氷川神社清掃へ、数名残り八雲社清掃。
二時過ぎ、大体八雲社終了、氷川社関係二時三〇分全員引上げ。
・世話人全員・総代相談
八雲社鳥居改修打合せ、一一月二三日の総代三名の相談大要説明。
大体以上の件を諒解煩し、奉賛文印刷する、尚奉賛芳名簿作成、今月中に配る。
以上決定打合せ。
・大祓の儀、午後三時実施、終了後社務所で御神酒を頂く、
午後四時解散。
〇一二月二八日(日) 八雲社鳥居関係打合せ
午前九時、農協会館、総代三名参集。
印刷出来上り配分、奉賛芳名簿地区別配分、鳥居改築計画書(趣意書)及見取図配分。
世話人に取り纏め依頼、最終日・昭和五一年一月二五日迄。
・昭和五一年一月一日、午前九時、幟立て(全貝)、幟返し一月一八日午前九時全員。
以上で一一時三〇分終了す。
・氷川神社振鈴、総代一二月二五日東京にて購入、一一時三〇分より総代二名で氷川神社の振鈴取付実施。

図100 別様見取図


(趣意書)
謹啓 師走の候益々御健勝の御事と拝察申し上げます。
常日頃八雲神社の護持につきましては、氏子中を始め信仰厚い各位の御理解と御協力を賜り居り感謝の至りです。
懸案中の鳥居につきまして、鋭意検討いたして参りましたが、老朽化甚しく補修の段階は過ぎ、改築の已む無い現状にあります。
従いまして左記計画の通り、鳥居改築を世話人会で決定させて頂きました。
  記
一、鳥居 材料 鋼管(亜鉛メッキ仕上げ)
一、予算額 壱百五拾万円也
内容 (Ⅰ)建立費 壱百万円也
   (2)其の他五拾万也
   (3)別添見取図の通り
就きましては時節柄出費何にかと御多端の折、誠に恐縮に存じますが、御奉賛下さいますよう御願申し上げます。
敬具
 昭和五十年十二月
  八雲神社
   神官、総代、世話人一同
氏子各位
<昭和五十一年度>
〇一月一日 幟立て
午前九時氏子全員集合、格納庫開扉、幟外一式搬出、幟立て一〇時終了。
世話人、内外メ飾り。
・ 一〇時〜一一時、世話人会
原・上手組、世話人交代する。
杉伐採代金で神輿格納庫、本殿土台拝殿屋根、戸締りの改修経過について。
八雲社鳥居建立、奉賛について。
幟返し、一月一八日午前九時。
以上を話し合い、午前一一時解散。
〇一月二五日
午後三時〜五時、八雲社寒く、原公会堂借用、総代・世話人集合。
八雲社鳥居建立賛助関係。
奉賛名簿中、氏名文字の再確認について。
鳥居の発注。
名前の彫刻方法、鳥居に卷付けか・別途建立か、総代に一任。
八雲神社屑篭設置について。
〇二月一日
一〇時、農協会館、総代集合。
一一時、三総代と業者との間で、八雲社鳥居建立、氏名表示(銅板をコンクリートで囲む)に関して契約を行う。
総代・世話人会を昭和五一年二月一一日午後二時開催することとし、〇時二〇分解散。
〇二月一一日
午後二時、寒風強きため、八雲社集合のところ原公会堂借用。
八雲社鳥居建立
①奉賛金現況報告 ②鳥居発注報告 ③名前表示(奉賛者の表示) ④その他
午後四時五〇分解散。
〇二月二一日 鳥居建立大祓及地鎮祭
午前九時一〇分〜一一時、神官・総代(三名)、工事請負者(二名)
新建立場所は、神官の指示で現位置より東へ移動する。
灯籠を東へ移動する。
奉賛者氏名表示位置決定。
ー〇時三〇分、地鎮祭及大祓施行、御神酒を頂き、一一時解散。
〇二月二六日
八雲社境内にて、鳥居建立に伴う杉枯根四株、抜根の件、ブルドーザーにて工事。
〇二月二九日 世話人及徳代会議
午後三時開会。
世話人交代地区があるので、鳥居関係について経過説明。
報告祭、四月二一日おいばなを予定、社務所の例に準じて、世話人・総代・地元区長・氏子外奉賛地区代表招待。
記念品について。
〇三月六日 総代・請負者会議
午後一時、農協会館、総代三名、誚負者二名。
氏名表示の見積りについて。
各総代、担当地区別一覧原稿渡し。
〇三月一七日
午後一時、農協会館、総代三名、請負業者二名。
業者持参の奉賛芳名表の校正。
鳥居塗装仕上げ。
・四月二一日 報告祭打合せ(下打合せ)
人員予定
神官・総代・世話人等一九名、南・北原・勝林・本町七丁目・本町八丁目・二ッ家・中央・谷足から一三名、区長ー原・上手・台原・下久保から四名、篤志寄付者四名、工事者代表三名、その他六名、合計四九名。
〇四月一一日 世話人会
午前一〇時、神官・総代・世話人参集。
鳥居建立報告祭について
報告祭の実施について、一応の予定は春祈禱(おいばな)当日と申し合わせてあるが、他の意見もあったため全員にはかり、春祈祷(おいばな)当日実施を決定する。
・報告祭当日の予定及計画等について、総代会私案発表。
招待人貝
社務所ー神官、総代、世話人、前総代、前世話人、計一九名。
地区代表ー南地区、北原地区、勝林地区、本町七丁目、本町八丁目、二ッ家地区、中央地区、谷足地区、計一三名。
区長ー原、上手、台原、下久保、計四名。
駕志ー二名。
工事関係者ー四名。
その他六名
合計四八名。
賄予定、肴折、赤飯、オードブル、お供え、酒、ビール、サイダ—。
囃子連、三地区依頼、当日一時前一発依頼。
その他、四月二一日世話人・囃子連・総代、早昼して集合、〇時三〇分迄。
・午後一時春祈禱、氷川社実施。
八雲社、午後二時春祈禱及報告祭同時実施。
本四月一一日当番、原組世話人担当する。
四月二一日は当番、上手組世話人担当する、午前中から出て天幕用意する。
午前一一時三〇分解散。
〇四月二一日 春祈禱(おいばな)併而八雲社鳥居建立報告祭
午前一一時より上手世話人、天幕二張り及机、受付用意。
午前一一時三〇分、原世話人、障子張り替予定の所、原公会堂の紅白幕張りにして障子張替中止する。
若衆・一般世話人、午後一時集合。
赤飯一飯台(餅米七キロ、金時五合)、下久保世話人手配。
お供え、亀屋菓子店(餅米三升)、総代手配。
囃子第一声、午後一時三〇分、本殿北(下組)、中央(上手組)、南(原組)陳取る。
氷川神社春祈禱 午後一時三〇分举行、世話人・総代、代表で参列。

写真15 八雲神社鳥居(下石戸下)

八雲社、午後二時の処、三時から春祈禱及鳥居建立報吿祭
一、開式のことば
一、お祓い
一、献餞
一、祝詞奏上
一、玉串奉奠
一、撒饌
一、閉式のことば
引続き、社務所にて直会
一、挨拶、工事報告
一、感謝状贈呈
一、来實祝辞
一、乾杯
一、懇談
一、手メ
以上
〇四月二七日、以上の精算。
謹啓 緑したたる昨今氏子始め皆様カには益々ご清祥のこととお慶び申し上げます
掠て今回の八雲神社鳥居建立に当りましては過般来多大の奉賛御寄進を賜りまして厚く御礼申し上げます
御蔭をもちまして予定通り無事竣功いたしましたので左記の通り工事並びに収支の概要について御報告申し上げます
  記
 一、工事について
 (イ)工事着工 二月二十六日
 (ロ)工事完了 四月十九日 
 (ハ)工事関係者
     鳥居工事    サイトウ工業KK
     奉賛芳名碑工事 旭ネームプレート製作所
     頭工事     鈴木土建KK
     抜根工事    三杉産業KK
  尚惣代伊藤常芳氏には多大の労力奉仕を頂きました
 二、収支について
 (イ)収入の部
  一金三、〇二一、五〇〇円也 奉賛寄進学地区別明細別添のとおり
  一金   五〇、〇〇〇円也 報告祭当日の招待者奉納金
  一金   一四、二一八円也 預金金利
計一金三、〇八五、七一八円也
 (ロ)支出の部
 一金 八七八、〇〇〇円也 鳥居建立費
 一金 四八〇、〇〇〇円也 奉賛芳名碑建立費
 一金 二一二、〇〇〇円也 頭工事費
 一金  三〇、〇〇〇円也 枯杉根抜費 
 一金 二二三、六八〇円也 奉賛寄進者に対する記念品代
 一金 一三九、八三〇円也 報告祭当日の経費
             1.招待者接待酒肴料
             2.感謝状及記念品代
             3.天幕机紅白幕謝礼
             4.雑費
 一金  二五、〇〇〇円也 印刷費(奉賛趣旨及報告書二回分)
 一金   四、五〇〇円也 世話人会当日の雑費延三回分
 計一金一、九九三、〇一〇円也
 収支差引残金 一金 一、〇九二、七〇八円也
尚残金につきましては八雲社本殿並に社務費等の護持費(補改修費)として使用させていただきます。
 昭和五十一年五月一日
  下石戸八雲神社
   宮司 吉田 浪次
   惣代 長島 元重
   同  伊藤 常芳
   同  栗原 堅一
   世話人 松岡 忠雄、梅沢 昭作、市岡 信雄、箕輪 久隆
       伊藤 皓二、重田 末由、細田 徳男、関根  醇
       小川 文夫、伊藤 佳光、大沢 竹由、大沢  盛
奉賛寄進各位
八雲神社鳥居建立奉賛表
  (S51.4.20現在)
地区名人員金 額附 記
篤 志460,000
上ノ上手183954,000
102835,000
台 原71295,500内1,000円33戸
下久保20190,000
ニッ家46159,000
勝 林24114,000
北 原47130,000内1,000円3戸
谷 足2349,000
中央~本町1359,000内1,000円 2戸
本町七丁目824,000
本町八丁目1556,000
5796,000内1,000円37戸
6133,021,500
(註)1.奉賛芳名碑八雲神社境内に建立いたしました
   2.御芳名は2,000円以上の方を表示してあります
   3.御訂正のありますときは地区世話人にお手数でも御申越下さい
〇五月一五日 氷川神社ふせぎ
午後三時、氷川神社集合、差し一社分。
〇五月二三日氷川社緑地淸掃
総代・世話人、計一五名出席。
〇六月一三日 八雲・氷川両社、総代事務引継
午前一〇時三〇分〜一時二〇分、農協会館。
原組(既任)、上手組(既任)、下組(新任)、下組(退任)、退任の総代兼会計係長島元重。

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