北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第8章 信仰

第4節 講

市内の講をみてみると、ほとんどが代参講で、農家を主にしたものである。いくつか村内に祀る神社の講も見られるが、それらは神社のところで扱ったので、ここでは代参講を中心に述べることにする。
代参講の主なものは、榛名講(群馬県榛名町)、石尊講(大山講・神奈川県伊勢原市)、御嶽講(東京都青梅市)、宝登山講(埼玉県長瀞町)、三峰講(埼玉県大滝村)、雷電講(群馬県板倉町)などで、女性の講として正直観音講(埼玉県川島町)、呑竜講(群馬県太田市)が見られ、他に講という形を取る場合もあり、取らない場合もあるが、近年ほとんど個人的に参るようになったものとして、成田講(千葉県成田市)、秋葉講(埼玉県大宮市)などがある。
戦前までは、ほとんどが農家で皆講に入っていた。戦後はだんだんと農家以外の人も移り住んできはじめ、農家も少なくなってくると、講は昔からの農家だけで行われるようになった。しかし、それも一般的風潮として信仰心が薄くなってきたことや、講員が少なくなると一戸あたりの負担が増えること、そして何よりも以前は代参が一種の旅行として大きな楽しみだったのが、近年は交通事情が良いため誰でも簡単に日帰りできるようになり、以前のような楽しみが伴わなくなってきたことなどで、中止するところが増えて今に至っている。講が盛んだったのは昭和三十年代までで、昭和四十〜五十年代になると多くの講が中止という形でやめている。
また講の形も、一つ一つ行われるのではなく、ゴッタ講・大講といって、いくつかの講を一緒にやり、そこで各講の代参者を一度に決めてしまい、飲食もそこで一度にやるようになっている。
講のやり方は大体皆同じで、回り番の宿あるいは集会所に三月頃に集まり飲食する。そこで、クジを引き代参者を決める。代参者は都合の良い日を選んで代参に行き、お札を受けてくる。帰ってきて各戸にお札を配りながら講金を集める。この講金の集め方は、皆集まった時に徴収する、あるいは各戸が代参者の所へ持っていくなどいろいろである。
各戸では、受けたお札を神棚に置いたり、榛名様のお札などは嵐除け、雷除けとして畑に立てたりする。榛名様では、他に筒粥表を頂いてくるので、作付けの参考にしたりする。
石尊講については農業の神様というだけでなく、出世の神様として男子は一五歳あるいは一七歳になると、初山といって代参の人について参った。近時はそうしたことも少なくなったが、昔は必ず行ったものという。
石尊講では七月半ば過ぎから八月半ば頃まで、石尊灯籠あるいは大山灯籠を立てる。これは既に代参を止めてしまった地区でも灯籠だけは立っているというところもある。ただ、ある地区では灯籠が燃えてしまったので、それきり灯籠を立てるのも止めてしまい、講が全く消滅してしまったというところもある。
正直観音講は、川島町の潮音寺へお参りするもので、二月二十一日が縁日である。講中の人が来る日はこの縁日だけで、今は四千人位であるが、昔は一万人といった。
縁日には朝七時ころから午後五時ころまで、一日中いろいろな時間帯で参拝者がやって来る。本堂が参拝者で一杯になると、護摩を焚く。
代参で来た人には、簡単な食事を出す。食事は毎年五五〇食位頼んで、パックで作ってもらっている。代参者はお札を頂いて帰るが、特殊講中には普通のお札の他にお姿のお札を出している。
代参でなく個人でお参りにくる人は、北本の人が多いという。
潮音寺にある「永代講代参受付芳名簿(自昭和五十三年二月 至昭和五十七年二月) 正直観音潮音寺」を見ると、特殊講中待遇扱控の部には、北本市宮内(旧中丸村)御影札添付三四枚、永代講札三〇枚、北本市下石戸久保新田、御影札二一枚添付と載せられており、一般の部には、荒井上手(講員数六四)、北中丸東組(三八)、北中丸南組(三六)、北中丸東新田(一八)、北中丸下組(二〇)、東間(七〇)、北本宿(四四)、石戸東南講・荒井東原(四二)、(石戸宿)横田(一五)、下石戸下久保新田(二八)、下石戸(二九)、下石戸下(二二)、高尾(一九)、高尾谷足(二三)、下石戸上(四三)、下石戸上手(五四)、下石戸上北原(一八)、高尾烏ノ木(一九)、下石戸下ラ宮(三一)、下石戸(二二)、高尾川岸(二六)、荒井(四二)とある。北本市以外では、川島町・吉見町・東松山市・蓮田市・菖蒲町・騎一西町・桶川市・上尾市・鴻巣市・坂戸市・川越市・大宮市・伊奈町からも代参に来ていることが見られる。

写真36 正直観音(川島町)

写真37 正直観音講名簿表紙(川島町)

代参ではなく、講全員が積金をしておいて出かけるものとして伊勢講がある。大体は昭和三十年代初めで終えており、近年は観光として旅行社の募集にのって行っている。講として行った時には、親戚などから餞別をもらうので、伊勢から掛軸と何か一寸したものを土産に買ってくる。この時には、ついでに四国の金比羅様や京都などで遊んできたという。
以下では、市内で行われている講を適宜選択して見ていくことにする。

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