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第9章 年中行事

第2節 春から夏の行事

1 一月の行事

エビスコウ
一月二十日と十月二十日(旧暦十月、新暦では十一月二十日)がエビスコウ(恵比寿講)である。エビスサマはオナッポロ (食いしんぼう)の神様だといわれ、普段はお勝手の小さな神棚に祭ってあるが、エビスコウには座敷や床の間のチャブ台、机に下ろして祭る。エビス様とダイコク様(大黒様)はいつも対にして一緒に祭る神様なので、エビス講といってもエビス様とダイコク様と二神祭っている。供物も二膳供える。
荒井では、エビスさんが正月のエビス講に働きに出て、十月のエビス講に帰るという。エビス様は昔から意地が汚く食いしんぼうなので、普段はお勝手の少し高いところに棚を作って祭っておく。しかし、エビス講の時は、エビス棚から下ろして、座敷や床の間のチャブ台の上に移して、丁重に祭る。
この日は夜オテンコ盛りとか、エビスコ盛りといって、御飯を漆塗りの器に山盛りにして供え、後で下げて家族全員で分けていただく。「エビスサマのおさがりの御飯を食べると、力が出る」といって子供にも食べさせた。また、エビスコサンマといって、尾頭つきのサンマを供えた。尾頭つきを生のまま供える家もある。ほかにフナかドジョウをとってきて生きたまま供える家もある。エビスコソバといって、ソバを供える家や、手打ちうどんを供える家もある。このほかにも、里芋や油揚げの煮つけ、豆腐汁、お神酒などを上げる。正月のエビス講の時、朝お鏡をくずして雑煮を煮るのに胡麻殻をつかう家がある。この雑煮もエビス様に供える。
エビス様の儲けの資金だといって、一升桝にお金や財布を入れて供えた。この日は、金を使ってはいけないといった。
高尾では、エビス講の朝台所のエビス棚から、エビス・ダイコク様とも床の間に移し、箕か桝にいれてお祭りする。朝は雑煮を二膳お供えし、しばらくして下ろし分けていただく。夜は高盛り御飯とケンチン汁、サンマの尾頭つきを供えた。エビス様に「今年は、これ以上働いてきてください」といって、お金や財布、貯金通帳などを一升桝にいれて供えた。元手を貸すのだという。下ろす時は、十万円で買いますなどという。供物のお膳を箕の中にいれて供える家もある。金魚を上げる家もある。
下石戸上では一月二十日と十二月二十日にエビス講を行う。エビス様を神棚から下ろしてチャブ台に飾り、山盛りの御飯とサンマなどの尾頭つき、幾らかとっておいた十四日のマユダマダンゴをいれた雑煮を供えた。川で釣った鮒なども上げた。「ますます繁盛」で桝にお金を入れて上げる。正月働きに出て、暮れに稼いで帰ってくるので、暮れのほうに御馳走を揃えるという家が多いが、エビス様は怠け者で暮れがおっかないといって、十一月の二十日に働きに出るのだという人もいる。
石戸宿では、一月二十日のエビス講にはエビス様が働きに出るといい、送りのエビス講と呼ぶ。この日からオエビス様にも出て働いてもらおうという日である。二十日の朝エビスサマ・ダイコクサマを茶の間から座敷に移し、朝は赤飯と正月のお供えを雑煮にしたもの、昼はうどん、夜はお神酒とサンマかイワシの尾頭つきを生のまま二膳供える。尾頭つきは頭を外向きにする。また、お金、預金通帳などを一升枡に入れて飾る。エビス様は福の神なので、お金をたくさん増やしてくださいという意味である。よく働いてもらうように、わざと供物を皿に盛らずに直接お膳に乗せる家もある。エビス様は翌朝茶の間に戻す。
十月二十日にもエビス講をするが、オエビスが帰る日なので、魚の向きを逆にする。お礼の日なので、供物は皿に盛る。そのまま供えておいて、翌朝下げていただく。
宮内では一月二十日と十二月二十日がエビス講である。一月は働きに出る日なので、よく働いてもらうように御飯は少なめに盛る。秋には働いて帰ってくるので、オテンコ盛りで山盛りにする。お神酒とサンマの尾頭つきも供える。エビス様に供えたものは、お金を供えて買いますといって下ろし、家族でいただく。エビス様を祭っていない家でも、エビス講の日は、神棚にお金とサンマを供えている。
エビス・ダイコクとはどんな神なのであろうか。北本市域の人々には一般的には、漠然と福の神、金稼ぎの神と理解されている。農家では農業の神と考えている例も多い。だから、春働きに出て、秋の収穫の時期に帰ってくるというのである。商家では、当然のことながら、エビス様は商売の神、金儲けの神として信仰されている。
エビスとはもともと夷・胡などの文字で表わされる異人をさす語であった。古くは漁民の間に発生した寄り神信仰に基づく漁の神であるが、中世以降は大黒とともに七福神に加えられ、福の神・商業神として全国に流布した。北本の農家の場合は、それ以前に行われていた正月と秋の農神の祭りに、福の神としてのエビス信仰が習合したのであろう。
エビス講は、春の農事開始前の豊作祈願の祭りと、秋の刈り上げ後の収穫感謝祭とみるのである。正月と十月で対になった神の去来伝承、豊作につながる御高盛り、里芋や油揚げなどの伝統的な供物など、古い信仰の姿をみせている。年神棚や盆棚に見るように、本来神は常在するのではなく、祭りに際して新しく祭場を設えて迎え祭り、祭りが終わるとお帰りいただくものだった。普段はエビス棚に祭るエビス・ダイコク様をわざわざ別の場所に移して祭るのも、その伝統であろう。
年中行事は家ごとの行事なので、一見伝承はばらばらで意味もないようにみえるが、詳細に検討すると古い信仰や人々の生活観が残されているのである。
この日で正月が終わり、普段の生活に戻る日との意識がある。正月の餅をくずしたり、小正月のマユダマを入れた雜煮をこしらえたりして、正月のものを始末する一方で、いよいよ仕事始めだとの意識がエビス様の出発の伝承に投影されている。
どんぶりに生きたままのフナやドジョウをいれて供える家や、金魚を供える家がある。この風習はカケブナなどといわれ、埼玉県では東部の元荒川、古利根川ぞいの地方に見られるものである。行事の意味するところは、よく分からないが、フナが稼いで来るようにといって、川に流したり井戸に入れたりするところからみると、この日迎える神の使徒としての役目を果たしているのではなかろうか。そしてその神は、水の神的性格を持つのではないかと思われる。
神を祭る供物の調整に胡麻殻を焚く。ゴマの実は、米俵の形に似て、しかもたくさんつくので縁起がよいというのだが、それだけであろうか。御神体や供物を、箕や桝、臼などに入れて祭るのも注目すべき民俗である。節供とは、年間の節目の折々に神を迎えて供物を供えて祭る機会である。だからこそ、供物を調整するために必要な箕や桝、臼などは特別視され、神や供物の容器として重んじられた。また、中の窪んだ形も神霊の容器にふさわしいと考えられたのである。あるいは、箕や桝、臼などを作るという、農民にできない特別な才能を持った人々が、季節ごとに全国をまわり、農神の祭りを執り行った名残であるかもしれない。

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