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第9章 年中行事

第2節 春から夏の行事

2 二月の行事

節 分
立春の前日を節分という。新暦では二月三日、四日ごろにあたることが多い。マメマキ(豆撒き)とイワシの頭刺しが代表的な行事である。
荒井では、「女年取り」といって、女が休んでもいい日だという。トシトリイワシ(年取り鰯)を焼く時に、「大麦、小麦、菜、大根の虫の口を焼く」とか「ネズミの口を焼く、カラスのロを焼く」などと唱え、つばきをはきかけながら、イワシの頭を焼く。焼いたイワシの頭をマメガラ(大豆の木)の先に刺して、三本まとめてトボグチに刺す。トゲのあるヒイラギの枝を添える家もある。

写真17 トボグチのヒイラギ

写真18 豆マキ用の豆とイワシの頭(高尾)

夕方のマメマキは、ホウロクを使いマメガラを燃やしていった豆を、一升桝に入れて大神宮様の棚や床の間に進ぜておき、座敷や床の間など主な部屋からまきはじめて、玄関、台所など全ての部屋にまく。稲荷様、便所神様にもまく。廊下の雨戸を開けておき、「福は内・福は内」と二回繰り返して最後に「鬼は外」と一回言いながら、雨戸を閉めるという家が多い。節分の日には、ニンジン・ゴボウ・チクワ・コンニャク・カンピョウなどをいれて、混ぜ御飯を作った。
石戸宿では、節分の日をトシトリという。年男がイワシのあたまを大豆の木に刺して「ダイズ、ショウズの虫を焼く、よろずの虫を焼く、もろもろの虫のロを焼く」といいながら焼いて、三本戸口に刺した。これは、農作物の害虫を駆除して、その年の作物の豊作を祈るものである。大豆を煎る時も、同様のことを唱えながら煎る。
豆撒きの前に福茶を飲む。福茶は茶に梅干しと大豆を入れたものである。
豆撒きは、玄関の戸を開け、大神宮、床の間、荒神様、仏壇の順で「福は内、福は内、鬼は外」と豆を撒いていき、最後に「福は内、福は内、鬼は外」といいながら玄関の戸を閉める。稲荷や物置にも撒く。病気にならないように、井戸の中にも家族の数だけ投げ入れる。また、それぞれの年の数だけ食べるとよいといった。節分の豆を取っておき、初雷の時庭に撒くと雷よけになるといった。
トシトリには、ミケイカゴ(目籠)にイワシとヒイラギ(柊)を刺して、物干し竿の先につけ、屋根に立て掛けた。また、この日は昨年の暮れに神社から貰い受けて大神宮様に上げてあったへイソクで、家族の体をなでてカドグチに立てた。
下石戸上では、節分には害虫の口封じといって「菜大根の虫の口を焼く、作物の虫の口を焼く」とまじないの言葉を三回唱えて、つばをかけながら、イワシの頭を焼く。「大麦、小麦の虫の口を焼け、鉄砲虫の口を焼け」といいながらイワシの頭を焼いて年神様に上げる家もある。豆撒きの時、豆を少し残しておき「この豆の花の咲くまで、家族の目を患わせないでください」と唱えて、井戸に大豆三粒をいれる家もある。
豆撒きは、必ず年男が一度豆を神棚に上げてからするが、鬼も福のうちといって「福は内」しかいわない家もある。また、家例で節分に豆撒きをしない家もある。豆はあとで、自分の年だけ食べると病気をしないという。
深井では、節分にはヒイラギの枝にイワシの頭を突きさして「〇〇の虫の口を焼きます」と唱えながら、唾をかけて焼き、家の入り口に刺した。年男が、煎った豆を桝に入れて大神宮、年神様に供えてからまいた。昔はトシトリの晩といい、この日皆いっせいに年を取った。
古市場では、節分にはイワシの頭を葦に刺してトボグチに置いた。イワシは魚屋で串に刺して売りにも来た。豆撒きは、村中に聞こえるような大きな声で「福は内、鬼は外」とやるのがよい。氏神様、荒神様、便所の神にも大きな声で撒く。節分の豆は、初雷までとっておく。雷が鳴ったら、三粒豆を井戸に入れるとよいという。また、節分にはヒイラギの葉二、三枚を取ってミカイやザルに刺し、竹んぼの先に掛けて、庭の入り口あたりに立てる。これは、新年になったので、悪病や不幸が来ないようにするのである。
節分に飾るイワシを、県内各地でヤッカガシと呼んでいる。ヤッカガシはヤキカガシ(焼き嗅がし)で、いやな臭いのするものを焼いて、臭いを嗅がせることによって、害をなすものを追い払おうとするもので、雀追いのカガシの語源でもある。つばき(唾)をはきかけるのも、より汚くするためで、追い払われるものは田畑の害虫や悪霊、悪鬼などであろう。ヒイラギを飾るのも、トゲによって追い払おうとするのである。ただ、節分に来訪するものは、追い払われるべき害虫、悪霊、悪鬼の類だけであったのかどうか、再考の余地があろう。
節分を、トシトリの晩と呼んだり、ミソカッパライをしたり、この日にみな年を取るといったり、正月と同様に意識されている。月遅れの正月を祝っていたころは、春立ちかえる立春を新年と意識し、それはちょうど一月遅れの正月とも時期が合っていたのである。女には豆まきをさせず、年男が一切を行うのも、正月と同様である。
イワシの頭を、年神様や荒神様に供える例がある。荒神様に供えたイワシを目につけると、ヤンメ (目の病気)が直ると、上尾や浦和ではいっている。これらの例では、イワシは忌避すべきものを追い払うための物ではなく、一種の供物として意識されている。秩父や児玉地方では、イワシの頭だけでなく、身の部分をも一匹まるごと使用しており、いっそう神饌としての意識が強いようである。
節分も忌避すべき悪霊、悪鬼だけが来る日ではなく、もともと正月として年神様を迎える日だったのであろう。そういう機会には、招かれない悪霊、悪鬼もおこぼれにあずかろうと、うかがいよった。のちに一月一日が正月として定着し、節分の方はもっぱら悪鬼を追い払う日になってしまったのであろう。
節分の虫のロ焼きは、七草の鳥追いと共通する新年の豊作祈願の呪詞である。節分は神聖な神祭りだからこそ、節分の豆に雷よけの力を信じ、健康を保つ源泉と考えたのであろう。

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