北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第2節 春から夏の行事

2 二月の行事

ハツウマ(初 午)
ハツウマ(初午)には、イナリコウ(稲荷講)をする。もとは月遅れで三月にやっていたが、現在では二月初午にやる家が多い。秩父・児玉地方を除くと、県内には屋敷神として、稲荷を屋敷の一隅に祭っている家が多い。多くは木か石のホコラ(祠)で、屋敷のタツミ(巽、東南)の隅に祭って いる(秩父・児玉地方の屋敷神は、ウジガミサマとかワカミヤハチマンと呼ばれ、祭日も十一月か十二月十五日という例が多い)。初午はこの稲荷の祭日で、各家々で赤飯、里芋、油揚げの煮しめ、けんちん汁などをこしらえて、尾頭つきとともに供える。

写真19 スミツカリ用の大根おろし

写真20 馬頭観音に供えたスミツカリのツト(下石戸上)

荒井では、初午には赤飯を蒸かし、豆腐と油揚げを氏神様(稲荷様)に上げる。赤飯のほかにスミツカリも作った。スミツカリは大根を大きな竹の歯の鬼おろしですり下ろしたものに、節分の大豆の残りを入れ、塩で味つけして煮る。冷めると、独特の風味がある。この日は女たちは針仕事をしてはいけない。また、火に立つといって風呂もたてなかった。しかし、最近は立てる家もある。自分の家の稲荷を祭るほか、講中三〇人くらいで特定の稲荷にオコモリ(お籠り)した。
高尾では、初午には赤飯とスミツカリをこしらえた。赤飯は神様用の木の鉢に入れ、スミツカリはワラのツトッコに入れて、お稲荷さんに供える。お稲荷さんは二種類あって、御眷属の狐が稲の穂を口にくわえているのは農家の稲荷で食の神、狐が右手を揚げているのは招き稲荷で商売の神だという。
スミツカリは荒い大根おろしに煎った大豆を二つわりにして入れ、醬汕で味つけして釜で煮る。節分の残り豆も入れる。ツトッコは、一握りのワラを二つに折り曲げて結び、船形になった窪みにスミツカリを入れる。ほかに豆腐と油揚げを重箱に入れて供えた。この日は農休みで、風呂も沸かさない。針仕虫もしない。
また、繭がたくさんできるように、桑の枝に繭の形をした団子を十二個刺し、床の間に飾った。

写真21 スミツカリのツトッコ

下石戸上のある家では、初午には氷川さんから神主さんを頼んで、お稲荷さんを祭る。稲荷に紅白の幟を立て、赤飯、油揚げ、豆腐、スミツカリを供える。スミツカリは、大根と細く刻んだ油揚げ、節分の残りの大豆を入れ、醤油味にする。お稲荷さんのほか、墓にもあげる。スミツカリは初午以外には作らない。どうしても作る場合は、初午に作ったものを少し取っておき、混ぜるとよい。
親戚の人や近所の人も、油揚げを持って御参りに来た。火に立つといって、風呂は立てない。
石戸宿では、初午に赤飯とスミツカリを作って、地区の稲荷神社に供えた。また、子供が「奉納稲荷大明神」とか「正一位稲荷大明神」と書いた旗を奉納した。大正十二年に稲荷神社が天神社に合併になってから、あまりやらなくなった。この日は、タメカツギ(肥溜担ぎ)などの仕事はしない。風呂も立てない。
稲荷神は家で祭られるもの、親類や近隣の講で祭られるもの、ムラ単位で祭られるものと、祭祀組織から三種に分けられる。北本市域では、家単位のものが多いが、その他のものもある。祭日や祭り方には、本質的な違いはない。
初午の伝承として、火に崇るといって風呂を立てない、針仕事もしないというのがある。要は、大事な神祭りの日なので、他のことを控えて静かに祭りに専念するという趣旨であろう。
初午特有の神饌にスミツカリ(シミツカリともいう)がある。これは初午以外には作らないものとされている。スミッカリは栃木県から群馬県を経て埼玉県まで、利根川沿いの地方を中心に分布している。埼玉県では、南埼玉、北葛飾地方が本場であるが、大里、北足立の荒川東部地域でもみられる。スミツカリは一種の湯なますというべきもので、名称はことなるが全国各地の古い祭りの供物とされているものである。古く十三世紀前半に成立した『宇治拾遺物語』にも記載されている伝統的な行事食である。大切な供物だから、その日以外には作らない。器も古風な藁のツトッコ(苞)を使用するのである。では、こうして祭られる初午の神、稲荷神とは何であろうか。屋敷神としての稲荷中心の、北本市域の伝承からつかむのは難しいが、商家では商売の神、農家では百姓の神だという意識は強い。秩父、児玉地方では初午に蚕神様が降りてくるという伝承があり、小正月と同様の農耕の予祝儀礼を行っている。県東部地区では、初午と秋のクンチ(旧暦九月九日、十九日など)を一対のものと考え、初午は豊作祈願祭、クンチは収穫感謝祭でどちらも子供のお籠りが行われている。これらの例から見ると、やはり農神に対して一年の豊作を祈願する祭りなのであろう。

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