北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第9章 年中行事

第3節 盆

1 盆の準備

カマノクチアケ(釜の明け)
盆行事は、八月十三日の迎え盆から十五日の送り盆までの期間中だけでなく、八月一日から始まる。八月一日は「釜の口明け」といって、地獄の釜のロの開く日といわれ、この日はご先祖様があの世を出発される日と意識されている。そのせいか、八月一日ごろがボンコの日となっている地区が多い。ボンコというのはボンク(盆供)のなまった言葉で、現在ではほとんどが現金に変わっているが、もとは小麦や米に、野菜物などを添えてお寺に持っていったものである。小麦粉を持っていくので、ボンコは盆粉だろうと意識されてもいたが、小麦や小麦粉から次第に米に変わり、最近はボンコと書いた金包みに変わっている。主作物や食生活の変化をそのまま反映しているのである。

写真32 盆供受けの張り紙

高尾では七月三十一日までにボンコを打った。常勝寺(鴻巣)の檀家では、一升入りの一番重箱に新小麦を一升入れていく。シンボン(新盆)の家と大尽は米だった。ナスやインゲンも添えた。品物と姓名を板に書いて、釘を打って掛けてきたので「ボンコを打つ」といった。今は半紙に書いて貼り出している。八月一日に地獄の釜のふたが開き、仏が旅立ってくるので、あの世からこの世へ来る時の弁当として届けるのだという。一般の人は、小麦粉をこねて片手で握ってふかした塩味の二ギリッコ、大尽は米の握り飯が仏の弁当だという。
深井では七月三十一日にボンコウチといって、小麦一升を重箱に入れ、その回りにナスニ個とインゲンを飾って寺に届けた。インゲンなどがない家は、隣に貰いにいったりした。寺ではシキチャ(挽き茶)をお返しにくれるので、茶碗に水でといて仏様に上げた。
石戸宿では、八月一日にボンコといってお寺に小麦粉を届けている。二〇年くらい前から金納の家が多くなった。八月一日は地獄の釜のふたの開く日で、仏様が客に来るので、小麦慢頭を作って仏壇に供える。
下石戸上では、八月一日のカマノクチアケ(釜の口明け)にはアンコをいれた小麦饅頭を作る。以前は炭酸など入れないウデマンジュウだったが、後に重曹を使いふかして作るようになった。この日にお盆に備えて墓掃除をする家が多い。
ボンコに類似したものにコナバツ(粉初)という風習がある。コナバツというのは七月末から八月初旬にかけて、嫁が小麦粉の初物を持って里帰りする習俗で、嫁の骨休めの機会とも考えられている。
ボンコはお寺に対するお礼と考える人も多いが、本来は死んだ先祖に供える魂祭りの供え物てあり、一方、コナバツは生存している親に食べてもらうものである。本来、盆は生死にかかわらず親の魂祭りを行う機会だった。その供物として麦ないし小麦粉が選ばれたのは、この時期の新穀だからであろう。新穀には特別の力がこもっていると信じられていた。それを食べることによって体力が回復し、魂も更新されると考えていたのである。
八月一日は盆の始まりで、モノビであり、昼から半日仕事を休んだ。この日を墓掃除の日としているところも多い。

<< 前のページに戻る