北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第9章 年中行事

第4節 秋から冬の行事

1 八、九月の行事

ハッサク(八朔)の節供と二百十日
八月一日をハッサクの節供という。盆行事を月遅れでやる関係で、八朔も九月一日に行われている。また、二百十日が九月一日ごろに当たるため、二百十日の行事と習合し、この日に嵐がこなければアレナシ正月をやるところもある。
ハッサクに嫁が里帰りする習俗は、広く 一般に行われていた。盆、正月、三月、五月とともに節供に数えられ、ほかの節供同様、嫁の里帰りする機会となっている。またこの日は、赤飯、うどん、小麦饅頭などの変わり物をこしらえて神様にそなえ、アソビ日といって仕事を休んだ。
高尾では、九月一日のハッサクの節供は嫁が生家にお客に行く日になっている。お土産にショウガ(生姜)を持っていくのでショウガ節供という。実家から帰る時は一年目は箕、二年目は升、三年目はザルを持ってくる。「ショウガない嫁だがミ直してくれ」という意味だという。朝食には小麦饅頭を食べる。
石戸宿では、しゅうと(舅)が嫁について実家に送っていった。帰る時は実家で送ってくる。生姜を持ち帰り、箕を貰ってきた。
深井では、九月一日は嫁が実家に泊まってこられる日である。実家に行く時には「節供」と書いた封筒に三百円くらいの金を入れていき「節供持ってきたよ」と親に渡す。嫁に来て最初の年には「しょうがねえ嫁だ」という意味で、生姜を持って里帰りし、帰るときには「見直してくれ」という意味で実家から箕を持って来る。二年目には「面倒みます」で升を持って帰る。三年目には嫁が持ち帰るものは何でもよいが、なるべく嫁ぎ先にないものを選ぶという。ザルは葬式の時に使うのであまり好まない。荒井でも嫁が妊娠しているときは、流産してしまうのでザルだけは持ち帰ってはいけないという。
八朔の節供は、天正十八年(一五九〇)の八月朔日、徳川家康が初めて江戸城に入城した日を記念して、徳川時代に五節供の一つとなった。それにならって民間でも祝うのだといわれる。ところが『吾妻鑑』の宝治元年(一二四七)八月一日に、この日の恒例の贈り物を停止すべきことを命じた記事がある。以前から八朔を祝日とするふうがあったので、家康が縁起のよいこの日を入域の記念日としたものであろうと思われる。
八朔は古くからタノミの節供とも呼ばれる。一つは田の実、つまり稲の実りを祈願する作頼みの意味があり、県内でも出穂を祝い、嵐除けの風祭りを行っている。もう一つは頼むところの人、つまり庇護を受けている人に挨拶し、贈り物をする風である。鎌倉時代以来、記録に見えるのはこの例であるが、本来は稲の穂が出はじめ、秋の実りを待つこの時期に、稲の成育を祈るとともに、嫁の里や親類、近隣など、共同で農作業を行うイイ(結い)仕事仲間で、赤飯、まんじゅう、うどん、生姜などを贈答しあい、一日休養した農村行事が、しだいに武家や公家の間にも波及し、結合を強化するための贈答を行う行事となったものと思われる。「ショウガ節供」の生姜は、「しょうがない嫁だ」という意味だなどと説明するが、三月節供の餅草、五月節供の菖蒲、冬至の柚子などと同様に、生姜の刺激や臭気が、魔除け、清めに効果があると考えたのであろう。このショウガ節供の民俗は県内各地をはじめ、群馬、静岡などでも行われている民俗である。

<< 前のページに戻る