北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第4節 秋から冬の行事

2 十、十一月の行事

神無月と荒神様
神無月(旧暦十月)に荒神様が出雲の社に出掛けるという伝承がある。荒神様が仲人役としてその家の縁談を決めてくるのだとか、八百万の神が出雲大社に集まって、国中の縁結びの会議が催されるともいう。そこで、神様が不在だから神無月には縁談をするなともいう。
荒神様は十月三十一日に出発し、十一月三十日に帰ってくる。そして、間の十五日はナカガエリ(中帰り)とかナカガヨイ(中通い)といって、途中で一度帰ってくる日とされている。土産団子とか、迎え団子といって、この三回とも団子をたくさんこしらえて、一升桝に盛り上げて竈の神様の荒神様に供える。荒神様は三十六人の子供がいるので、三十六個供えるのだともいわれる。
下石戸下では、十月三十一日と十一月十五日、十一月三十日は、台所にある竈の神様の祭りで、土産団子をたくさんこしらえて供えた。竈の神様であるコウジンサマは子供が三十六人いるので、供える団子の数は三十六個にする。特に十一月十五日はナカガエリといって手打ちうどんも供え菊の花も飾って丁寧に祭った。よその団子を盗んで食えば、その家の娘が貰えるといった。コウジンサマは台所の竈の神様で、オカマサマは外にある煮炊き用のカマダンの神様だという家や、逆に竈の神様をオカマサマと呼ぶ家もある。竈・荒神様の注連縄は、外さずに次々に張り加える。これが多いと、家が永く続いていることになる。
高尾では十月三十一日をオカマサマのハツガヨイ(初通い)、十一月十五日をナカガヨイ(中通い)、十一月三十日をシマイガヨイ(終い通い)という。コウジンサマが十月三十一日に出雲に出掛けるといい、この三日とも団子や山茶花、菊の花を供える。コウジンサマは三十六社の神様だから、団子は三十六個供える。
神無月は神様が不在の月だから神事を行わないというが、この月にエビス講が行われることからみても、本来この月は神祭りの時期であった。十月は稲刈りや麦播きの時節である。稲の収穫祭、麦播き祝いに際して農神を迎え祭り、この一年の感謝をささげ、来年の実りの多からんことを祈願したのが神無月の意義だったのではなかろうか。カンナヅキの語源も、旧暦六月の水無月が「水の月」であるように本来は「神の月」の意味である。そして、祭りにともなう神迎えと神送りの観念が薄れ、ただ神がどこか遠くに去られるという印象だけが強く残っていたところに、この月神々が出雲大社に集合されるという、出雲中心の神無月信仰が、ある種の出雲信仰の布教者たちによって広められた。縁結びの相談に集合されるといったなじみやすい話によって、すっかり人々の間に定着してしまったものと思われる。
しかし、神々が一月間留守されるというのでは、かんじんの十五日の祭りの説明がつかない。そのため、十五日には一度帰ってきて祭りを受けられるという中帰り説が生まれたのであろう。
正月や盆の例にみるとおり、本来祭りは満月の十五日を中心に行われた。そして、その前後の新月と晦日のころに祭りの初め(物忌み開始)と終了の時期があったのである。神無月の荒神様の祭りも「オカマサマの中通い」で一連の行事を総称するとおり、十五日のナカガヨイを中心に、出発とお帰りの日はナカガヨイに付随したものと理解することができよう。神無月は神が不在だから、結婚式などを避けるのではない。大事な作神を祭る月だから、その祭りに専念するために他の神事は避けるのである。
では、多くの神々の中でどうしてオカマ様(火の神荒神様)だけが特別視されるのであろうか。それは、竈神こそ最も古い家の神だったからではないかと思う。
オカマ様については、1火伏せの神で、よく祭らないと子供が火傷するなどという火の神本来の伝承、2田植え終いのサナブリに三把苗を供えたり、稲刈り後にカッキリボタモチを供えるなどの農神的性格、3子供が生まれると、ウブ(産)立て飯を供えるなどの産の神、子供の守護神的性格、4オカマ様を祭ると良縁に恵まれる、嫁入りするとすぐにオカマ様を拝むなどの家の神的性格、5正月の幣束を力マジメとよぶなどの年神との関連性など、埼玉県下にはさまざまな伝承が残されている。
オカマ様は、民間でダイジングウ(大神宮)やエビス(恵比寿)大黒、稲荷などを祭り始めるより古くから祭られていた、原始的な家の神であったろう。後に、ダイジングウ、エビス大黒、稲荷などが強力な布教者の手で広められ、家の神の中心的存在として祭られるようになってきたが、オカマ様は体系化されないまま、いろいろの性格を内包した複雑な姿で、竈が消滅する近年まで、依然として人々の間に強い信仰を保ち続けてきたのであろう。

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