実録まちづくりにかける集団

北本この人 >> 実録まちづくりにかける集団

第2編 「わぁ、つくしんぼみたい、わたしのおうち」
   あそびの学校が歩んだ十三年

二 北本市青少年育成市民会議からあそびの学校へ

昭和六十三年、市教育委員会から、本市に青少年健全育成市民会議を作りたいので、協力願いたいとの申し入れがあった。準備委員には、社会教育で全国を飛び回っていた社会教育委員工藤日出夫、自治会連合会副会長黒澤健一、文化財保護審議会長伊藤明ら、北本市の頭脳集団といえるメンバーがたくさんいた。
その中にあって、すでに青少年育成にかかわる団体がいくつも存在していたことから、最初、私は設立に反対の立場であった。なぜ創るのか、作ってどうするのか、誰が運営していくのかなど、まさに喧嘩腰で、一年間の激論の末、結局、平成一年七月二十九日、なぜか私の誕生日と同じ日に、北本市青少年育成市民会議は設立された。
団体名から「健全」の文字は消した。健全でもない大人が、子供の育成にだけ、健全の文字を冠するのはおこがましい、という自戒の念をこめているのである。
・趣旨に賛同するものは会費を払って会員になる
・名誉的な役員はおかない
・自分が提案したことは、責任を持って自分が先頭で実施していく
・さまざまな青少年育成団体との、連絡調整機関としての役割もになう
・子供たちにとって、心豊で安心して住める社会環境づくりを主眼とする
などといった理念を掲げ、全国的にも珍しい、「会費を払って活動する会員制」の市民会議が誕生した。
自分の提案を、責任もって遂行すれば何でも出来るという、新しい形の市民団体は、会長にこそ当時の市長新井馨になっていただいたが、副会長に黒澤健一、工藤日出夫、教育長峰尾栄らが就任し、他の役員は全て一般市民で構成した。当然のこととして、設立にかかわった発起人は、何らかの役割を受け持つことになる。私は、副会長と同時に、文部省委嘱事業の特別実行委員長の役を受け持った。

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