北本地名誌

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Ⅱ 大字の沿革

10 山中

〔近世〕山中村 江戸期~明治22年の村名
足立郡鴻巣領のうち。古くは深井荘に属したという。はじめ幕府領であったが、元禄4年(1691)旗本横田氏の知行となった。「田園簿」には、「中山村」とみえ、「元禄郷帳」には山中村とあり、正保~元禄の間に改称したという。検地は寛永6年(1624)、村高は「田園簿」で42石余、うち田11石余・畑31石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに52石余。村の規模は東西南北ともに6町余、用水は元荒川の水を鴻巣宿のうち宮地堰より引いて使用。化政期の家数17軒。高札場は村の東に1か所。神社は八幡社ほか3社、寺院はなくて不動堂のみ。
明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数16、人口89、馬7。飛地は3か所。主な物産は米・麦・甘藷などであった。同12年北足立郡に所属、同22年中丸村の大字となる。
〔近代〕山中 明治22年~現在の大字名
はじめ中丸村、昭和18年から北本宿村、同34年11月から北本町、同46年11月から北本市の現行大字。人口は明治22年96、昭和45年704。同50~53年一部が北本1~4丁目、本宿1~8丁目に組み入れられた。

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