北本地名誌

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Ⅲ 自治体の沿革

3 北本宿村

前掲書により、北本宿村成立の事情を紹介すると次の通りである。
「昭和十八年二月十一日石戸村及び中丸村を合併してあらたに北本宿村が設置された。大東亜戦下にあった石戸、中丸両村は、戦争完遂のため、国内体制の整備と行政簡素化の国策に即応し、町村の規模を拡大強化し以って共同の福利増進を図り、併せて施設経営の増強確立を期する目的をもって、県の促進措置と相侯ってこれが実現を真剣に考究するところとなった。即ち昭和十七年十月十九日県振興課長同席のもとに両村の長、助役、村会議員、区長、方面委員、各種団体の長等による新村造成研究会が開催されて意見の交換が行われた。ついで同年十一月二十五日県主催による両村の長、助役、実行委員参加の新村造成研究会が浦和市公会堂に開催されて両村合併に関する具体的な問題を審議した。この間両村は個々に新村造成確立期成会を設けて、その利害得失を調査研究するとともに両村実行委員の合同協議会を開催して合併条件、新村発足日等を協議した。その結果、両村の意見が完全に一致するところとなり、同年十二月八日の村議会で両村の合併を県に上申することを異議なく議決した。いまここに上申に関する議決を掲げると次の通りとなる。

議決第二十九号
   町村合併に関し上申の件
本村は隣接中丸村と九号国道並に高崎線附近に於て相接し省線北本宿駅は両村の中心を為せ
り。従って両村共主要道路は何れも之を中心として発達し両村の行政産業経済の中枢点たり。
仍て右駅を中心として両村の画期的発展を期するは時代に即応せるものと思料せらるるを以て
中丸村と合併、北本宿村を新設し村域の拡大を計り、村政の強化充実を期せんとす。仍て昭和
十八年一月一日を期し之が実現に付尽力あらむことを埼玉県知事に上申するものとす。
    昭和十七年十二月八日議決
                   石戸村会議長 大沢慶広

ついで両村議会は同月十二月付大津敏男知事からの諮問に対し、翌十三日の議会で満場一致でこれを可決、直ちに異議ない旨答申した。かくて大津知事から内務大臣に許可禀請され、即座に許可されるところとなり、ここに新村の発足をみた。
新村名は新村の中央に所在する国鉄の駅名をとって北本宿村と命名され、新村の役場位置は大字北本宿五百七十三番地(現北本駅東口隣り)に決定された。」
昭和25年の世帯は2,401、人口13,457人。昭和34年北本町と改称、各大字はそのまま存続した。

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