北本の絵馬

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【石戸天満宮】

石戸天満宮

菅原道真を祀る天満宮は各地にあるが、石戸天満宮は、荒川を背景とした好地に勧請された石戸宿の鎮守である。祭日は9月25日であるが、かつては大人や子供による天神講がさかんに行なわれたという。隣接して放光寺や城山学校があったが、この地域の絵馬は、多くこの天満宮に納められている。これらの絵馬からみても、人びとはかつて石戸天満宮を中心として、地域や村びとの連帯をはかってきたのではないかと思われる。大秡一万度修業の絵馬は、 村びとが連名奉納したものであるが、その読誦の響が、今にも伝わってくるようである。

大秡一万度読誦 石戸天満宮蔵 (70㎝×186㎝)

直実と敦盛 石戸天満宮蔵 (58㎝×65㎝)

源平一の谷合戦の絵馬である。図柄は、背景に鵯越から高取山、鉄拐山の峻険を、正面に朱の母衣、挙扇の直実と、海中から引返す敦盛を描いたものである。花の蕾の公達を、思い決して首を搔切った直実の話は後世にまで語り伝えられた。天明8年夏、石戸宿島村某氏の奉納したものであるが、記念的な絵馬と思われる。

義経八艘飛び 石戸天満宮蔵 (87㎝×140㎝)

源平壇浦合戦、義経八艘飛びの絵馬である。平家追討の後、義経は悲劇の武将として後世の語り草となり、判官びいきともなった。また多くの伝説さえ生むようになったが、色白で小兵に描かれ奮戦する義経の図柄も、このようなことから描かれるようになったものであろう。明和6年秋、石戸宿連中が奉納したものであるが、やはり記念的な絵馬であろう。後営軒橘守信の筆になるものである。

式三番 石戸天満宮蔵 (90㎝×125㎝)

五穀の豊穣は、人びとにとってその生命を支配するほど重大なことであった。絵馬の図柄は、翁の舞や面から、式三番のめでたいものではないかと思われる。文政8年2月吉日、下石戸村の吉田氏筆子中が奉納したものである。村の安全や豊作を祈願したものであろうが、吉田氏筆子中と記されているのは、かってこの地域では天神信仰と結びつきながら盛んに庶民教育が行なわれていたことに関係するものであろうか。信仰と教育とが結びついて奉納された絵馬と思われる。

小弾銃 石戸天満宮蔵 (30㎝×40㎝)

砲弾 石戸天満宮蔵 (40㎝×55㎝)

秋津島・蜻蛉島は日本列島の呼称であるが、とんぼも蜻蛉と書き、とんぼ・かげろうと読ませる。二枚の絵馬は、小銃弾・砲弾を配したものであるが、日露戦争の勝利、また無事帰還を祝って奉納したものであろう。小銃弾をとんぼの形にあしらったのは、とんぼを一名「勝虫」というところから戦に勝ったという縁起のよさを表現したものであろう。

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