北本の絵馬

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【北本天神社】

北本天神社

北本天神は、江戸時代後期に京都の北野神社を勧請したといわれている。古くは北本宿の鎮守であったが、明治6年村社となった。祭典は、春は3月25日、秋は丨1月25日に行なわれ、村内を御輿をかついでまわる。かつて300世帯ばかりあった氏子は、現在では2000世帯あまりに増加している。昭和30年代には、宝登山神社、稲荷神社、大口真大神、猿田彦命など数社を末社として境内に勧請している。かつて絵馬なども多く奉納されていたというが、明治初期、神仏分離の折に処理されてしまったという。

宇治川の先陣争い 北本天神社蔵 (95㎝×140㎝)

宇治川合戦の絵馬である。とうとうと渦を巻いて流れる宇治川は、京都を守るにも攻めるにも一つの大きな要害であった。 絵馬の図柄は、木曽義仲を攻める源義経の家来、佐々木高綱・梶原景季が、頼朝から与えられた名馬、生唼・磨墨にまたがり先陣争いをする姿を描いたものである。
奉納年月日は不明であり、また奉納者も文字がうすれて判明できないが、おそらく記念的な絵馬であろうと思われる。

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