雑木林のあるまち 社会
2.戦争
昭和7年、軍部の総力戦体制づくりに全面的に協力する趣旨(しゅし)で設立された婦人会である。20歳以上の婦人が強制加入させられ、国防訓練、遺族の援護(えんご)などを行なった。最前列だけでも50人ほど並んでおり、石戸村の全婦人かと思われるほとんどの人数である。
昭和17年に政府主導により、愛国婦人会などと統合され、後に大日本婦人会となる。
同Ⅱ
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明治39年9月14日(日)付の中丸尋常(じんじょう)高等小学校の校務日誌によると、この日校庭で凱旋(がいせん)祝賀式が挙行され、午後からは余興があったという。
日露戦争凱旋祝賀会Ⅰ 宮内か (明治39年か)
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戦没者の公葬 荒井 石戸小学校 (昭和10年ころか)
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日中戦争のころまでは戦没者の葬儀(そうぎ)は学校を休校として、村をあげて盛大に行われていた。
出征兵士とその妻子 緑 (昭和18年)
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大日本国防婦人会 荒井 石戸小 (昭和16年ころか)
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昭和17年に政府主導により、愛国婦人会などと統合され、後に大日本婦人会となる。
日中戦争に次いで2回目の出征である。左胸につけた勲章(くんしょう)がそれを物語っている。
国防婦人会員や小学生、村人に送られ戦地へ赴(おもむ)く兵士。
出征兵士の見送り 北本 北本宿駅 (昭和15年ころか)
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