雑木林のあるまち 産業

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4.養蚕

北本で養蚕が始められたのは、明治時代の前半のことである。養蚕農家は、昭和初期までは好景気であったが、世界恐慌(きょうこう)や第二次世界大戦の影響(えいきょう)で不景気となり、大幅(おおはば)に減少した。戦後も養蚕農家は減り続け、今では市の西側に20軒(けん)前後を残すのみとなった。


蚕室内部 石戸宿 (平成3年) 

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蚕 石戸宿 (平成3年) 

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蚕室 石戸宿 (平成3年) 

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桑与え (昭和53年ころ) 

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明治時代には春蚕(はるご)一回だった養蚕も、出荷する繭(まゆ)量を増やすため、年に最高四回も行うようになった。蚕に必要な桑も、畑作地を桑園にして食用に充(あ)てていた。また、蚕は病気に弱くまた鼠(ねずみ)が好物としたため、鼠除けをして猫(ねこ)の絵を掛(か)けた家もあった。



ウラトリ (昭和53年ころ) 

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マユカキ (昭和53年ころ) 

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