雑木林のあるまち くらし

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1.家

家いう言葉は、現在では主に生活舞台(ぶたい)としての建物を意味するものとして使用されているが、かっては〇〇家というように家族的なつながりをも含めた敷地(しきち)内全体を指す言葉であった。零とは老人から子どもまでの年代を超(こ)えた人々の生活空間であり、明確な秩序(ちつじょ)をもった空間でもあった。
母屋(おもや)の回りには木小屋や便所などの生活に欠かすことのできない別棟(べつむね)の建物があった。母屋をはじめほとんどの建物が広い面積をとった平屋で、現在の住宅の狭小(きょうしょう)化、高層化とは正反対になっていた。
家の内外のいたるところに人々は神の存在を信じ、神をまつっていたが、それがひとつの神棚(かみだな)に集合される傾向にあった。太く巨大な梁(はり)や大黒柱も懐(なつ)かしくなった。縁側(えんがわ)という家の内と外とも言えない空間、通路であり腰(こし)かけでもあるという多様な空間が少なくなった。住環境(じゅうかんきょう)の変化は急激であり、かつ大きかった。


屋敷林Ⅰ 北中丸 (昭和57年) 

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同Ⅱ (昭和50年ころ) 

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味噌小屋 (昭和50年ころか) 

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井戸 荒井 (昭和63年) 

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かつて農家の家のまわりは、田や畑や屋敷林(やしきりん)で、公道とはケード(力イドウ)と呼ばれる通路で結ばれていた。母屋(おもや)は、屋敷林と庭とにはさまれており、それぞれ燃料採集の場と農作業の場であった。この屋敷林の中に草葺(くさぶ)き屋根ののぞく光景は、武蔵野(むさしの)を象徴(しょうちょう)する風景とされている。


薪小屋 (昭和63年) 

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外便所 (昭和63年ころ) 

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物置 (昭和63年) 

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