雑木林のあるまち 道

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2.岩槻道
太田道灌(おおたどうかん)は長禄(ちょうろく)元年(1457)に、元荒川のほとりに名城といわれる岩槻城(いわつきじょう)を築いた。別名、白鶴城(はっかくじょう)と呼ばれた美しい城である。岩槻道はこの城を基点に各地に放射状に延びていた。その一筋の道が蓮田市(はすだし)・伊奈町(いなまち)・桶川市加納から市内の朝日・宮内を通り、鴻巣市人形町へ抜(ぬ)けていた。
この街道筋には、中世までさかのぼる館(やかた)や屋敷(やしき)の伝承地が多い。現在これらの館や屋敷跡(あと)の主は、往時(おうじ)「鴻集七騎(こうのすしちき)」と称されていた岩槻太田氏の家臣と考えられている。おそらく岩槻やその周辺に大事があったときには、荒武者(あらむしゃ)として鳴らしたこれら鴻巣七騎の面々が、この道を怒涛(どとう)のように駆(か)け抜けていったことであろう。
現在でも、岩槻へ向かう最短コースとして利用されている。

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