一夜堤
いまから、およそ四〇〇年くらい前のお話です。
石戸宿に、
石戸城という
城がきずかれていました。南がわは、石戸宿の
集落につづいていましたが、西がわには
市野川(今は
荒川)が流れ、北がわと東がわは水草のおいしげる
湿地にかこまれていました。ですから、たいていのこうげきでは、てきにせめ落とされる心配はありませんでした。
そのころ、
武蔵国では毎日のようにたたかいがつづき、石戸城も
鉢形城(
寄居町)の
城主北条氏邦の
大軍により、はげしくせめられたのです。何度こうげきをかけられても、石戸城の
武士たちは少ない人数で
必死に守り、城は落ちません。
「石戸城の武士は、ゆうかんだ。しかし、こんな大軍でせめて、こんな小さな城一つをせめ落とせないとはなさけない。どうしてこんなに石戸城は強いのか。」氏邦は、あせりさえ感じまLた。
ところが、その石戸城が、ある日、一夜のうちに、落ちてしまったのです。この時、城の西がわの川をわたって、かろうじてにげ出した
右丹、
隼人、
九左衛門の三人にも、どうしてこうなったのかまったくわからない、
一瞬のできごとだったのです。
その夜、
北条軍は、いつものように城の南がわをせめたててきました。今までより、いっそうはげしくせめこんできました。さすがの石戸城の武士たちも、これがさいごかとかくごを決めたほどでした。それでも必死にたたかい、何度も北条軍を追い返しました。
そんな時です。いきなり城の東がわにてきの大軍がわきあがるようにあらわれたのです。ふいに、横からせめられ、城はひとたまりもなく落ちてしまいました。
「てきはどうやって、城にせめこんできたのだろう。東がわは、人が入ればたちまちむねまでもぐってしまうぬまである。橋をかけたり、ぬまの中に道をつくったりできるはずがないのに。」
「きのうの夕方、見回りしたときには、橋はもちろん道などなかった。」
「
沼地の水の上を走ってきたのだろうか。」
右丹、
隼人、
九左衛門の三人は、いくら考えてもわかりませんでした。
後でわかったことですが、
石戸城の東の沼地の中に、一すじの道ができていたのです。三人は、これは
鬼神がつくったのにちがいない、と考えました。
この一夜のうちにきずかれた道は「
一夜堤」といわれ、今では
自然遊歩道の一部として
市民のいこいの場となっています。
注
(1)北条氏邦(?~一五九七)……… 戦国時代の
武将。
寄居町にあった
鉢形城の
城主。
永禄五年(一五六二)には、
石戸城(北本市石戸宿)をせめたが落とせなかったという
記録がある。
(2)鬼神………かつて、人びとは、目で見てたしかめることはもちろん、音の気配すら感じることはできないが、人の力ではおよびもつかない力をふるう何物か(つまり
鬼神)がいるとしんじていた。