北本のむかしばなし 歴史や昔のようすをつたえる話

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茶屋跡ちゃやあと徳川家康とくがわいえやすのたかがり

かつての北本や鴻巣には、広いあし原や雑木林ぞうきばやしがつづき、たくさんのけものや鳥がいてかりをするのにてきした所でした。
江戸時代えどじだいのはじめころ、このけものや鳥をもとめて、たびたび将軍しょうぐんがたかがりにきました。たかがりは、かいならしたたかを使って、山鳥や野うさぎなどをとることです。徳川家康とくがわいえやすが、たかがりをこのんだことはよく知られています。とくに、せきはらのたたかいのあとは、毎年のように県内各地かくちでたかがりをしています。二代将軍秀忠ひでただ、三代将軍家光いえみつもたかがりをこのみました。
家光は、石戸で休み、鴻巣にとまったと記録きろくにあります。家光が休んだ所は、石戸宿の子ども公園の近くの稲荷社いなりしゃあたりだといわれ、土地の人びとはここを御殿稲荷ごてんいなり、またはお茶屋跡ちゃやあととよんでいます。今でも古い地図には地名としてのこされています。また、とまった所は、鴻巣市にあった鴻巣御殿こうのすごてんと思われます。
たかがりには、地元の多くの農民のうみんたちが、えものを追いだす人足としてかり出されました。いく日も前からのじゅんびや、当日のもてなし、鳥やけものの追いだしなど、その苦労くろうはたいへんなものでした。
このように代々の将軍がたかがりをこのんだのは、ただの楽しみや、体をきたえ、いくさでのかけひきをくんれんするというもくてきだけでなく、地方の武士ぶしや農民たちのようすをさぐるというねらいもありました。
市内にのこる下中丸村の殿谷とのやはな木村きむら(朝日)の殿山とのやまなどの地名は、家康いえやす秀忠ひでただ家光いえみつなどがたかがりを行なった所ともいわれています。

(1)徳川家康(一五四二~一六一六)………江戸幕府えどばくふ初代将軍しょだいしょうぐん。一六〇〇年にせきはらのたたかいで石田三成いしだみつなりらの豊臣方とよとみがたをやぶり、実権じっけんをにぎった。一六〇三年、江戸に幕府を開く。

【北本さんぽでの紹介】

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