きたもと子ども漫画館(上巻)

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北本歴史きたもとれきし
豆辞典まめじてん
北本きたもと板碑いたび


板碑いたびというのは、中世ちゅうせいに造られたいし供養塔くようとうのことをいうんだ。材料ざいりょうとなったのは、秩父ちちぶ小川地方おがわちほうれる緑泥片岩りょくでいへんがんといういしで、埼玉さいたま中心ちゅうしんまれ全国ぜんこくひろまっていったとされている。鎌倉時代かまくらじだい武士ぶしによってはじめられたこの板碑いたびづくりは、ほとけたいする信仰しんこう死者ししゃへの供養くよう目的もくてきおこなわれて、室町時代むろまちじだいには庶民しょみんあいだにもひろまっていったんだよ。

北本市内きたもとしないでは現在げんざい360基余きよ板碑いたび確認かくにんされているけれど、そのなかでも東光寺とうこうじにある「貞永じょうえい2年銘板碑ねんめいいたび」は、県内けんないで4番目ばんめふるいものとしてけん文化財ぶんかざい指定していされているもの。写真しゃしんればわかるように、板碑いたびにはこれとおなじような経文きょうもん梵字ぼんじ(サンスクリット文字もじ)がかれて仏像ぶつぞうきざまれ、全体ぜんたい仏教色ぶっきょうしょくいものとなっているんだ。

伝承範頼石塔でんしょうのりよりせきとう板碑群いたびぐん東光寺とうこうじ

朝日地区あさひちく光蔵寺こうぞうじにある板碑いたびは、”正平しょうへい”という年号ねんごう使つかわれていることで注目ちゅうもくできるものだね。この板碑いたびられた当時とうじは、足利尊氏あしかがたかうじ活躍かつやくしたころで、尊氏たかうじ弟直義おとうとただよしとの内乱ないらんしずめるために一時的いちじてき敵方てきがたであった南朝なんちょう和睦わぼくして、その時南朝ときなんちょう使つかっていた年号ねんごう正平しょうへい」をれたんだ。このことから足立郡内あだちぐんないでも一部いちぶ武士ぶしが、足利尊氏側あしかがたかうじがわとして活躍かつやくしていたことがわかるよね。板碑いたびは、つくられた当時とうじ歴史れきし物語ものがた証人しょうにんでもあるんだ。

10年単位板碑造粒表ねんたんいいたびぞうりゅうひょう

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