きたもと子ども漫画館(上巻)

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北本歴史きたもとれきし
豆辞典まめじてん
石戸城いしとじょう発掘はっくつ


さて、物語ものがたり舞台ぶたいとなった石戸城いしとじょうとは、いったいどれくらいの規模きぼだったのだろうね。現在げんざい、おしろのあった場所ばしょにはいえち、はたけたがやされ、樹木じょもくしげっていて、地上ちじょうからえる城跡しろあとといえば土塁どるいくらいしかないんだけれど、当時とうじ絵図えず資料しりょうをもとに推定すいていしてみると、その郭跡くるわあとひがし西にしきた三方さんぽうがけかこまれた縦長たてなが台形だいけいをしているようなんだ。この台形だいけいおおきさは、南北なんぼくやく250メートル、東西とうざいが100~200メートルほど。教育委員会きょういくいいんかいによる発掘調査はっくつちょうさによれば、この台地上だいちじょうには本丸ほんまるまるがそれぞれ土塁どるいほり区分くわけされたくるわをつくって、そこにやぐらなどの建物たてものてられていたようだね。

石戸城いしとじょうのかつての姿すがたは、付録ふろくの「石戸城想定復元図いしとじょうそうていふくげんず」をるとよりわかりやすいとおもうけれど、西にし荒川あらかわながれるけわしい地形ちけい利用りようしてつくられたんだ。鎌倉街道かまくらかいどう石戸いしとわたしがちかくにとおっていた交通こうつう要衝ようしょうで、やかたしろてるには絶好ぜっこう場所ばしょだったんだ。石戸城いしとじょうについてはまだまだ不明ふめいなところがおおいけれど、今後こんご発掘調査はっくつちょうさすすむにつれてその全体像ぜんたいぞうがよりあきらかになってくるだろうね。

石戸城跡いしとじょうあと


石戸城跡いしとじょうあとより
荒川あらかわをのぞむ

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