北本市史 通史編 自然

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第2章 北本の地質

第3節 沖積層の発達

2 開析谷を埋積する沖積層

市内中央部から西部にかけて広がる高位台地面上には、樹枝状の開析谷の発達が著しい。これらの開析谷で実施した数十本のハンドオーガーボーリングの結果は、開析谷の基底がほぼ洪積層の堅固な砂礫層にあることを示した(自然P二〇)谷底より採取した泥炭や木片の放射性炭素測定(14C)年代は、最も古いもので五ーニ〇±四〇年(三一七〇BC)、最も新しい試料が三三二〇±一〇〇年(一三二〇BC)の値を持つ。ただ、これらの試料の14C年代と採取地点の深さは必ずしも相関的ではない。

図20 北本市西部開析谷の珪藻ダイヤグラ厶-2

1.シルト質砂層 2.シルト層 3.シルト質粘土層 4.泥炭層 5.粘土層 6.砂礫層 7.砂層 8.腐植 9.木片 10.淡水生種 V.珪藻帯区分・淡水生珪藻帯 N.湖沼沼沢湿地指標種群 O.沼沢湿地付着生種群 (安藤一男に分析を依頼して得たものである)

開析谷中の珪藻分析結果(図8・20)は、淡水止水域に生育する沼沢湿地付着生種群が極めて優勢で他に湖沼沼沢地(こしょうしょうたくち)指標種群が産出されるが、海生種や汽水生種(きすいせいしゅ)を全く欠くことを明らかにした。
以上のような事実と赤堀川・荒川低地の形成過程でわかってきた縄文海進の進展と砂礫の供給堆積の関係を考え合わせれば、市域の高位台地面上に複雑に切れ込む開析谷は、縄文時代前期以後沼沢湿地状の堆積環境に変わり、そこに周辺台地からシルトや粘土が埋積されて発達した沖積低地であるといえる。

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