北本市史 通史編 自然

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第6章 北本の生物

第4節 都市化と生物

1 動植物の消長

北本市の人口の推移を見ると、昭和四十年(一九六五)には二万五七六人、昭和六十年(一九八五)には五万八一一四人と、僅か二〇年間に二・五倍も増加して、平成二年(一九九〇)には六万三九二九人に達している。増加した市民の住宅地化、商業地化および企業の進出に伴う工業用地化は、緑豊かな市域の雑木林や耕作地の減少をもたらす結果となった。そのために行われた開発行為は、場所により計画的に行われたものの、大部分の地域では急激な人口増は乱開発につながってしまった。
商・住地、雑木林や湿地を含む草地などの永久緑地、そして市民に新鮮な農産物を提供する生産緑地(耕作地)などの十分な都市計画がされないままに開発行為が先行し、僅かに市街化調整区域の指定のみが消極的に自然を護る機能を果たしているにすぎない。
他市では市内にある神社仏閣が緑地として重要な役割を果たしているが、市域における特徴的なことは、神社仏閣以外に市の中心部に雑木林が点在している点である。平成四年(一九九二)にその一部を市が保全することを決定した施策は他の市町村から注目されている。東部の赤堀川流域では減反政策による休耕地が放置されたまま、湿性植物の生えた草地を出現させている。
市内の庭園や街路樹は観賞用の草木を植栽し、田畑は食用の穀類や野菜を栽培するのが目的なので、雑木林とくらべれば当然植生は単純である。そのような場所には新しい動植物が侵入する余地を生じるので、今まで見られなかった種類が繁殖(はんしょく)し始める。国際化が進むにつれて、在来の動植物の世界に外国産の生物がはいりこみ定住するようになるが、市内においても市街地や耕作地、道路を中心に、明治以降続々と帰化生物がはびこってきた。
「帰化生物」の侵入経緯(けいい)は次のように考えられる。
[目的をもって移入した生物が帰化した場合]
(一)収穫、狩猟、漁獲、天敵利用の目的で輸入し、繁殖することを期待して植えたり放したりしたもの
(二)繁殖、飼育、鑑賞用に輸入したものが、不注意などの原因で逸出してしまったもの
[知らないうちに侵入し、自然増殖した場合]
(三)検疫(けんえき)の目を逃れて、輸入貨物や輸入植物などに付着して侵入してしまったもの
(四)外国との交流が盛んになるのに伴い、荷物・衣服・履物(はきもの)などに付着して侵入したと思われるもの
なお、帰化した時期が近代、すなわち一八〇〇年代後半(明治以降)から現在までの一〇〇年余りのものを一応「帰化生物」として扱い、侵入時期を記録した書物文献等がないほど古い時代に侵入したと推定されるものは「史前帰化生物」と呼び、特殊な場合以外は取り上げないのが普通である。

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