北本市史 通史編 原始

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 原始

第1章 火山灰の降る中で

第4節 北本の旧石器人

ユニットが語るもの
提灯木山遺跡の二次調査では、二つのユニットが検出された(図10)。まだ整理の途中で詳しいことはわからないが、この二つのユニットから当時の生活をかいま見てみよう。
二つのユニットは調査区の中央から南寄りに位置し、北側のユニットを一号、南側のユニットを二号と呼んでおく。一号ユニットは長径六・〇メ—トル、短径三・六メートル、二号ユニットは長径一八・九メートル、短径五・九メートルほどの規模である(写真6)。一号に比べて二号のほうが大きいが、出土石器の数量にも大きな違いがあり、一号は約四〇点なのに対して二号は四〇〇点を越える数量が出土している。ただし、層位的には立川口—ム層中のソフトロームからハードローム層にかけて検出され、層位的な差は認められない。
さて、ユニットを構成するものは、石器・剥片(はくへん)(フレイク)・チップ・石核(せきかく)(コア)などである。すべては材料となる原石(母岩)(ぼがん)から打ち割られたもので、石器製作の過程で生じたものといえる。一号ユニットでは、比較的小形で定形化したナイフ形石器六点・残核(ざんかく)一点のほか、約三〇点ほどの剥片およびチップがみられた。六点のナイフ形石器は、一点の破損品を除くすべてが全長三・五センチメートル、幅ー・五センチメートル、厚さ〇・三センチメートル前後と規格性が強い。二側縁に調整の施されたいわゆる「茂呂型(もろがた)」と称されるもので、ナイフ形石器製作の一つの到達点を示している。だからこそ同じような製品を作ることができたのである(写真7—①)。残核は、剥片を剥ぎ終えた残骸(ざんがい)で、サイコロ形を呈(てい)している。
二号ユニットは、一五点のナイフ形石器のうち、切出形(きりだしがた)の小形ナイフ形石器および数点を除いた大半は不定形のものが多く、一号ユニットとは様相を異にしている(グラビア)。残核は四点・石刃ー〇点のほかは小剥片・チップである。残核は一号と同様のサイコロ形を呈したもの二点、円錐形(えんすいけい)のもの一点、円筒形のもの一点があり、それぞれ異なった剥離方法(はくりほうほう)によって剝片(はくへん)をはぎ取られた石の芯(しん)である(写真7-②)。後二者は、縦長の石刃(せきじん)を剥ぎ取った剥離面が認められ、いずれも平坦な打撃面を用意した後に剥いでいるが、円錐形のものは一方向から、円筒形のものは上下両端から打撃をくり返している。同一ユニット内で異なった剥離方法を用いている点は興味深いものがあるが、サイコロ形のものは三点ともに粘板岩(ねんばんがん)のような軟質な石材であるのに対し、円錐形のものはホルンフェルス、円筒形のものはチャートと硬質の石材である。あるいは、原石の性質に合わせて剥離方法を使い分けていた可能性も指摘できる。ユニット内の剥片には、こうした残核と接合しそうなものが含まれており、接合作業を通じて、より剥離技術の実態が明確になるであろう。
ここで、改めて二号ユニットの構成をみると、石器製作の過程に生ずる剥片やチップ、さらに石核や仕上がった製品などがすべて含まれている。また残核と剥片とが接合する可能性があるし、石器類と同一母岩の剥片も認められることから、二号ユニットは、大規模な石器製作の跡と考えてよいだろう。
これに対し一号ユニットはどうだろうか。ナイフ形石器の石材は頁岩(けつがん)・チャ—ト・ホルンフェルスなどであるが、これらを製作した際に生ずる剥片やチップは認められない。また残核(ざんかく)が一点あるもののナイフ形石器のいずれの石材とも一致しない。したがってこれらのナイフ形石器は他から持ち込まれたとみるのが自然であり、このユニットを積極的に石器製作の場とするには根拠に乏(とぼ)しいうらみがある。少しばかり大胆ではあるが、一号ユニットを住居のあった空間とは考えられないだろうか。詳細な分析を期待したい。

①ナイフ形石器(1号ユニット)

②石核(左:円錐形・中:円筒形・右:サイコロ形)

写真7 提灯木山遺跡の石器

③細石刃

ところで、一号ユニットのナイフ形石器は他から持ち込まれたものであり、二号ユニットで石器を製作する材料となった原石も他から持ちこんだものである。また、二号ユニットにはいくつかの残核が残されていたが、原石はすべて使い尽くされたわけではないはずで、使用に耐える良質の石核(せきかく)は他の場所へと持ち出され、そこで改めて石器製作に利用されたと考えられる。したがって、ユニットという点は、遣跡を越え、石材の移動という線でつながっていることになり、この点と線こそが旧石器人の確かな足跡なのである。つまり、旧石器人の具体的な動向も、ユニットを中心とする遣跡の構造的分析によって考古学的に証明されるし、当時の生活をよりリアルに復原することが可能となってくるのである。

<< 前のページに戻る