北本市史 通史編 原始

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第1章 火山灰の降る中で

第1節 北袋の崖面から

北の陸橋と南の陸橋
氷河期の寒冷な気候がおよぼした自然現象の一つとして、海水面の低下を忘れることができない。約七万年前に始まるヴュルム氷期が、約二万年前に最も寒い時期をむかえると、海水面が現在よりも一四〇メ ートルから一五〇メ ートルほども低下したという。陸上の水分が雪や氷となって凍結した分だけ、水面が下がったわけである。したがって、現在三〇メートル前後の市域の標高も一八〇メ ートルほどと高くなり、谷は深くけわしくなったことであろう。
現在の氷河の分布面積は、全陸地面積の約一一パーセントを占めているが、その氷の量は地球上の淡水の七〇パーセントにも相当している。極寒期には全陸地の三分のーを氷河が覆ったというから、陸上に固定された水分は想像を絶する量であった。極端な海面の低下もうなずける。
海水面が低下すると、海に囲まれていた日本列島は海峡が陸化して陸橋(りくきょう)を形成し、日本海はちょうど大きな湖のようになり淡水化が進んだ。こうして大陸と日本列島とが地続きになると、北は北方系の動物が陸橋となった間宮海峡(まみやかいきょう)や宗谷海峡(そうやかいきょう)を通って日本列島へ渡来した。マンモス・ヘラジカ・ヒグマ・ニホンウマなどがその代表で、これらはマンモス動物群と呼ばれている。このうちヘラジカは本州まで南下しているものの、マンモスは、夕張(ゆうばり)や襟裳岬(えりもみさき)の海岸段丘で化石が発見されているだけなので、北海道南部までしか南下しなかったものと考えられている。

図3 オオツノシカ

また南からは 中国大陸の温帯域北部に生息するオオツノシ力・モウコウマ・アナグマ・タヌキなどの黄土動物群(おうどどうぶつぐん)が渡来した。本州ではこれら二つの動物群に加え、比較的温暖な前時代から生育していたナウマンゾウなどの周口店動物群(しゅうこうてんどうぶつぐん)が共存し、豊かな動物相を育んでいたのである。
洪積世には四回の大規模な氷河期が知られているが、全時期を通じて寒冷な気候であったわけではない。氷河期と氷河期との間には比較的温暖な間氷期があり、最近の研究によると、各氷期の中にも小さなサイクルで寒暖があったという。日本列島ではこのような激しい環境の変化の中、南北から波がうち寄せては返すように動物群の盛衰があったものと考える。
なお、栃木県星野遺跡(ほしのいせき)ではモウコウマ、長野県野尻湖ではナウマンゾウやオオツノシ力などが旧石器時代の遺跡中から出土している。特にオオツノシカは狩猟の主な対象であったが、日本列島では、約二万年前ごろからしだいに姿を消しはじめるようである(図3)。ちょうどそのころ、旧石器人の遺跡が全国的に急増する傾向にあり、人類の活動との関連がうかがえて興味深い。
ところで、最終氷期には北海道と本州とを隔てる津軽海峡(つがるかいきょう)は陸化せず、同じように朝鮮半島と本州とを隔てる朝鮮海峡(ちょうせんかいきょう)・対馬海峡(つしまかいきょう)も細い水路状に残り、陸化しなかったとする説が有力である。そうだとすれば最終氷期には動物群やヒトの移動はなかったのであろうか。ただし、ヒトはすでに舟を利用していた可能性があり、また、海水面が凍結する時期には、徒歩で渡ることも可能だったのではないだろうか。

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