北本市史 通史編 原始

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第1章 火山灰の降る中で

第2節 大宮台地にやってきた人々

火を自在に扱う狩人
旧石器人の生活を物語る痕跡(こんせき)は、きわめて貧弱である。発掘調査では、「ユニット」または「ブロック」と呼ばれる石器や石片の集中箇所や、調理跡といわれる礫群(れきぐん)(図5)、炭化物の集中箇所などがセットで出土するが、生活の跡といってもほとんど殺風景に近い。
礫群は、手の平に乗る大きさの礫が、数十個から一〇〇個以上集まったもので、ほとんどが火を受けて赤く変色し、割れているものが多い。ときには動物の脂肪(しぼう)などがタ—ル状に付着(ふちゃく)していることから、火で熱した石の上でバ—ベキューのように利用した跡と推定されている。炭化物の集中箇所は火を焚(た)いた跡で、炉の可能性もあるが、焼土が残っていないため判然としない。

図5 八重塚遺跡A区礫群

また、彼らが寝起きした住居跡については、確実な発掘例もなく、大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡や川口市赤山陣屋跡(あかやまじんやあと)など、いくつかの例が住居跡としての可能性を指摘されているにすぎない。はたしてそれらが住居であったとしても、むしろ例外的なものであろう。彼らの住居は、おそらく移動生活に適するような携帯性(けいたいせい)を優先したもので、動物の皮などを利用したテントのようなものだったと考える。地面を掘りつけるような構造物をつくらないのが、旧石器人の生活の特徴ともいえるのだ。
さて礫群や炭化物の集中は、彼らがすでに火を用いていたことをわれわれに教えてくれる。
火を使うということもヒトと他の動物との大きな相違点である。火は、厳しい寒さをしのぐ暖房として、また獲物の肉を調理する手段として、さらには照明としても重要な役割を果たした。ときには猛獣から身を守り、心理的な安らぎを与えるなど、あらゆる恩恵(おんけい)を彼らに与えたはずである。現代の生活にも火は欠かせないが、当時は火こそが彼らの生命線であったといえるだろう。

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