北本市史 通史編 原始

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第1章 火山灰の降る中で

第3節 赤土に眠る文化

石で作った道具
日本における旧石器時代の存在については、戦前まではそれを否定する考えが支配的であった。ひっきりなしに火山灰の降りしきる不毛(ふもう)の地には、とてもヒトは生活できないとする考え方が常識としてあったのである。ところが昭和二十四年(一九四九)、行商をしながら考古学を研究していた相沢忠洋(あいざわただひろ)によって群馬県新田郡笠懸村(にったぐんかさがけむら)の岩宿遺跡(いわじゅくいせき)が発見されると、従来の「赤土からは遺物は出土しない」という考古学界の常識はくつがえされたのである。切り通しの崖(がけ)で採集された一片の石器が、このセンセ—ショナルな調査へと導いた話はよく知られている。その岩宿遺跡の発見から四〇年あまりを経た現在、旧石器時代の遺跡は全国のいたるところで発見され、毎年数多くの遺跡が調査されるようになっている。
旧石器時代の遺跡を調査すると、赤土の中から点々と石で作った当時の道具が検出される。もちろん、道具の素材が石だけではなく、木や動物の骨・角・皮なども利用したにちがいない。しかし、日本で発見される遺跡の多くがオープンサイト(開地遺跡)(かいちいせき)とよばれる平坦地に埋もれているため、そのような有機質の遺物はほとんど残ることがない。特に関東地方のローム層は酸性度が高いためである。結果として、くさることのない石器や礫だけが土の中に伝えられていく。彼らの生活を復原するとき、限られた資料の中で、とくに石器の分析が研究の主流になっているのは、それが当時の中心的な利器であったという理由のほかに、石製品しか残らないという事情があるからである。
さて石で作られた道具、すなわち石器は、ナイフ形石器のほか尖頭器(せんとうき)・掻器(そうき)・削器(さっき)・彫器(ちょうき)・錐(きり)などに分類されている。これらの中には、今もわたしたちが使用している道具の名称が充てられているものもあるが、必ずしもその名称と用途が一致しているわけではない。個々の石器の使用法と機能については、まだまだ推定の域をでていないのである。ここでは、いくつかの石器について簡単な説明をしてみよう。

図6 いろいろな石器

旧石器時代を代表する石器といえば、まずがあげられるのがナイフ形石器である。その名称は、わたしたちがレストランなどでなどで洋食を食べるときに使うナイフに似ているところからきている。側縁(そくえん)に剥離(はくり)されたままの鋭い刃をもち、他の側縁に細かく刃潰(はつぶし)加工(プランディング)を施しているのが特徴で、先端部が尖(とが)っているものが多い。その形態からモノを突き刺したり、あるいは切ったりすることもできる万能な道具であったと思われる。
尖頭器(せんとうき)(ポイント)は、より突き剌す機能が高められた石器で、片面または両面に細かい加工がなされ、木の葉形をしている。投げ槍の先につけられたもので、狩猟の道具である。
狩猟具のほかには現代の工具に似た道具もある。搔器(そうき)(スクレイパー)は、縦に長い剥片(はくへん)の先端部に角度のある丈夫な刃をつけたもので、モノを切る・削る・搔(か)き落す機能にすぐれている。主に動物の皮を剥(は)いだり、柔らかくするのに活躍したものだろう。
削器(さっき)(エンド・スクレイパ—)は、縦長の剥片の側縁に刃をつけたもので、モノを切ったり、削ったりする道具である。やはり丈夫な刃で、骨なども切断できたと思われ、動物の解体に威力を発揮(はっき)した。
錐(きり)(オール)は、剥片の一部をドリルのように尖らせた刃をもつもので、回転運動によってモノに穴をあける道具である。ケモノの皮はもちろん、木や骨などにも穴をつらぬいたものであろう。
石器には、礫などの原石(石核)(せきかく)を打撃によって剥離(はくり)し、その剥片を加工する剥片石器といわれるものと、自然の原石をそのまま粗く加工して作る石核石器とに大きく分けられ、これまでみてきたものは前者に含まれる。石核石器には、礫の片面や両面の先を粗く打ち欠いた礫器や、ほぼ楕円形(だえんけい)に整形し、その先に刃をつけた石斧(せきふ)などがある。
このような石器の中には、私たちが日常生活で手にする道具に形の似たものがあることは、何らかのつながりがうかがえて面白い。ある種の機能を追及した場合、時代を越えても変わらないものもあるのだろう。ともあれ、今日のパソコンやロケットなどに発達してきた長い道具の歴史の中で、石器こそがモノを加工した道具の始まりなのである。


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