北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第3節 台地の恵み

大宮台地における縄文時代の植生
縄文文化を生み出し、支えた気候と植生(しょくせい)はどの様に変化したのだろうか。基本的には、九州南端に出現した照葉樹林が北上し、やがて関東に達するのであるが、大宮台地では若干(じゃっかん)異なった環境が復原されつつある。大宮台地でのデータは、まだ豊富とは言えないが、川口市の赤山陣屋跡(あかやまじんやあと)(川口市遺跡調査会『赤山陣屋跡』一九八一)、源長寺前遣跡(げんちょうじまえいせき)(川口市遺跡禍査会『源長寺前』ー九九一)、大宮市の寿能遺跡(じゅのういせき)(埼玉県教育委員会『寿能泥炭曆遺跡発掘調査報告書―自然遺物編』ー九八二)などで花粉化石の分析を中心にデータが集積されつつある。特に低湿地遺跡の寿能遺跡は、木器・杭・流木などの木材、葉、花粉、プラントオパール、昆虫などの動物遣存体など良好な資料がたくさん出土し、分析されて、ある程度変遷(へんせん)を辿(たど)ることができるようになった。これらのデータはすべてが整合性を持つものではなく、一部は異なった分析結果となっているが、大まかな変遷を辿ってみよう。
草創期(そうそうき)のデータはない。旧石器時代末から冷涼な気候が和(やわ)らぎ、温帯に移行しつつあり、モミ属、トウヒ属、ブナ属、ツガ属が姿を消し、ケヤキ属、コナラ亜属が殖(ふ)えたことであろう。
早期は、ナラ類が極めて多く、またトネリコ類とマツ類も前期以降よりぬきんでて多い。クヌギ、クリが全く無く、前期以降とはかなり異なった森林が存在していたらしい。樹木の傾向から、現在よりやや寒冷な気候であった。
前期は、早期よりかなり暖かくなって、台地上では落葉広葉樹林を形成していた。が、花粉分析によると、源長寺遣跡ではエノキ属、ムクノキ属を主とし、コナラ亜属は従であるのに対し、寿能遣跡ではコナラ亜属が高率産出で安定しており、ケヤキ属、エノキ属やクルミ属、アカガシ亜属は少なく、わずかに林相が異なっている。寿能遺跡では、流木等は、クヌギが優先し、ナラ類がこれに続き、クリが一割近く出現している。樹木のクヌギが優先した傾向はナラ類が優先した早期と、クリが優先する中期のちょうど中間的な出現状況である。低地にはイネ科、スゲ科の他にヒシ属も生育し、湿地的な草地を形成し、周辺にはハンノキ属などが散育していた。より乾いた土地を好むナラ類が減少して水湿に近い所を好むクヌギが増し、また湿地性のハンノキ類も出現することは台地下は縄文海進(じょうもんかいしん)に伴って湿地化してきたことを示している。早期と同じであるが、この時期も針葉樹を除いて広葉樹はすべて落葉樹であり、照葉樹林の存在は考えにくい。
中期は、古気候としては温帯であるが、前期よりは暖かくなっている。台地上にはコナラ亜属を主体とする落葉広葉樹林が広がり、現在のクリ—コナラ—クヌギの二次林に似た林であったが、暖地性のイヌガヤや、照葉樹林の構成種である常緑性のカシ類とヒサカキがわずかではあるが出現する。一方冷涼な気候を好むキハダ、ニガキなども出現しており、現在の大宮台地の林に比べ森林構成種が豊富であったことがうかがわれる。低地にはハンノキ湿地林が形成された。
後期は、基本的には中期と同じであり、コナラ亜属を主体とする落葉広葉樹林が台地上に形成されていた。中期に続き、オニグルミの種子が多く出土している。常緑樹のカシ類とヒサカキがやや量を増している。またイヌガヤも多く見つかっている。低地では、ハンノキ属やヤナギが殖え水湿の環境が続いている。気候と合わないトチノキとその種子が多量に見つかっており、木材や種子が遣跡へ持ち込まれているのも特徴的である。
晩期は、データが少ないが、後期と同じ傾向である。

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