北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第4節 集落をつくる

集落をつくる
一か所に長く留まっていると、家族が増える。家を継ぎ足して増築したことが住居跡に残された柱穴から分かる。前期の関山期(せきやまき)には拡張して面積を広げることが盛んに行われている。面積を広げるだけでは間に合わない場合は、もう一軒別に新築する。家が老朽化し、それまで住んでいた家を廃棄して新築することもあった。そうして次々と家が増えていくのである。
台地に残された竪穴住居の数は、長い間に改築されたり、次々に付け加えられた結果である。それでは、いったいある時期には何戸ぐらいの竪穴住居があったのだろうか。前期では六〜七戸、中後期には一〇戸くらいであろうと予想される。大規模な集落は、それだけ集落の継続期間が長いということであって、中央の広場、クリやドングリを貯蔵する穴、墓地、家と家や集落と外部をつなぐ道など生活に必要な施設が全部備わるようになる。まれには集会施設や倉庫と推定できる施設もみつかる。日本海側を中心に共同作業場と推定する巨大住居跡もみつかるようになつた。

図15 集落の景観 嵐山町行司免遺跡

(嵐山町遺跡調査会報告『行司免遺跡』より引用)
全ての遺構が同時に存在していたわけではない。

大規模集落は、周辺の小集落を統括(とうかつ)していたであろう。市域では、大規模集落から離れた小家族が生活し、規模は小さく、営続期間も短い集落跡が多い。

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