北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第7節 地方との交流と交易

石材
秩父市辺りの荒川の両岸には大小の石がゴロゴロしているが、市域を流れる荒川(旧和田吉野川)は中流域にあたり、石はほとんど見られない。大宮台地には礫層(れきそう)がないから、台地上にもあまり大きな石はない。遺跡から出土する石は何らかの目的のためにわざわざ持ち込んだものである。縄文人たちは石器に依存する割合が減って、旧石器人ほど石器を作ることに堪能(たんのう)ではない。それでも弥生時代以降と比べれば利器をはじめ多くの道具を石から作りだしている。石器に用いる石材は黒耀石(こくようせき)、チャート、安山岩(あんざんがん)、蛇紋岩(じゃもんがん)が多く、そのほか多孔質安山岩、緑泥片岩(りょくでいへんがん)、御影石(みかげいし)などである。そのいずれもが市域からは産出しないのである。普通には荒川流域と利根川流域の石材が多いが、遠隔地から運ばれた石材も使用している。産出地が不明な石材が多いが、黒耀石は栃木県の高原山(たかはらやま)、長野県の和田峠(わだとうげ)、伊豆七島の神津島(こうづしま)から市域まで連ばれているし、硬玉は新潟県と群馬県に産地があるが、市域の遣物は新潟県産の石材である。これらは、交易によるものである。直接人が行き来したのではなく、間にいくつもの集落を介在しつつ、物々交換しながら移動してきたのである。

図19 北本市へ運ばれた土器と石器

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