北本市史 通史編 原始

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第3章 米作り、そして戦争の始まり

第5節 農耕社会の発達とク二づくり

南の土器・北の土器
弥生時代後期になると、関東地方西部地域のムラムラで使用される土器が南部と北部で著しく異なったものになる。南関東西部地域に分布した土器は、縄目(なわめ)の文様で飾られていた縄目文土器なのに対して、北関東西部地域では、櫛で直線や波形を描いた櫛描文土器(くしがきもんどき)が広がっていて極めて対照的である。後期になって、南関東西部地域が櫛描文を捨て、伝統的な縄目文にこだわったのに対して、北関東西部地域では、縄目文を捨てて中期以来の強い繋(つな)がりがあった中部高地地域の地方色のある櫛描文を採り入れたためである。このような広い地域の間の繋がりがすぐに弥生の「クニ」に結びつけられるのかどうかはわからないが、土器にみられる関係によって、当時の社会の様々な繋がりの強弱を読み取ることは可能であろう。

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