北本市史 通史編 原始

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第3章 米作り、そして戦争の始まり

第7節 古墳時代にむけて

古墳時代の足音が聞こえる
しかし、方形周溝墓の中に、やがて単独で造られたり、他のものより大きなものが現われてくる。ムラとムラの利害関係を調整し、ムラムラが大きく纏(まと)まって行く過程の中では、それを導く強い指導者が必要になってくる。ムラが大きくなればなるぼど強い指導者が必要だ。強大な権限を持ち、ムラの運営を指揮する指導者たち。かれらはしだいに支配者へと変わりつつあった。
最近、弥生時代の終りごろの墓にも大きなものがあることが分かってきて、これを墳丘墓(ふんきゅうぼ)と呼んでいる。県内では、まだはっきりしたものは見つかっていないが、特定の人物をことさら手厚く埋葬する必要が社会の中に生じたのだ。
しかし、こうした契機(けいき)には、もちろん地域社会の成熟が必要であるが、だからといってムラの発展の中から自律的に起こったわけではない。ムラムラやさらにクニと呼ばれたかも知れない集団同志の社会的な繋(つな)がりがなければ生まれなかったのだ。
やがて造られるようになる古墳は、規模の大小は別として、全国で同じ規格を持ち同じ副葬品を持っている。同じ形の墓を造り、同じ形の土器で同じマツリをし、同じものを副葬品として死者に持たせる、そのような形で畿内を中心とした各地のカシラ同士が結び付きをもつ時代がやってきたのだ。

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