北本市史 通史編 原始

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 原始

第4章 巨大な墓を競って造った時代

第1節 古墳時代の成立と展開

古墳時代の開始と前方後円墳
縄文時代と弥生時代はともにその時代に使用されていた土器の特徴によって、時代名称がつけられている。ところが、古墳時代は土器によってではなく、古墳というその時代特有のお墓を時代名称に用いている。その理由は、この時代は土を盛り上げた大規模な墳墓が盛んに築かれたことを最大の特徴としており、しかも歴史上、他にそのような時代が見られないということによっている。古墳には、後に述べるように様々な形のものがあるが、とくに前方後円墳は大規模なものが多いという点で重要であり、古墳時代の幕開けと同時に出現し、北海道を除く全国各地に分布している。このため、初期の前方後円墳を調べることによって、古墳時代の始まりの時期を知ることができるし、分布のあり方から、その時代の中心地がどこであったかを知ることもできる。また、前方後円墳の新旧関係と広がりをつかむことによって、古墳文化がどのように伝わっていったのかを知る手がかりともなる。

図44 奈良県箸墓古墳の墳丘想定復元図

平面形は柄鏡形で5段築成である。

図45 奈良県箸墓古墳出土の壺形・円筒埴輪復元図

吉備の特殊器台の影響を強く受けたわが国最古の埴輪である。

ところで、わが国最古の前方後円墳は奈良盆地の南東部の山裾(やますそ)に集中している。この地は、古代から神の山としてあがめられてきた三輪山(みわやま)の麓(ふもと)にあたり、日本最古の道といわれる山の辺(べ)の道に隣接している。これらの中には墳丘の長さが二〇〇メートルを超えるような巨大墳も見られ、渋谷向山(むこうやま) 古墳(こふん)(景行陵(けいこうりょう))や渋谷行灯山古墳(あんどんやまこふん)(崇神陵(すじんりょう))のように天皇陵とされているものもある。このような巨大墳の中にあって、出現期の前方後円墳と推定されるものに全長二七六メ —トルの箸墓古墳(はしはかこふん)がある。この古墳は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓として宮内庁が管理しているため、発掘調査は行われておらず、立ち入ることも禁止されている。しかし、墳丘上から採集された埴輪(はにわ)の破片の特徴と墳丘の形態から、この古墳をわが国最古の前方後円墳の第一候補に挙げる考古学者は多い。なぜならば、箸墓古墳から採集された埴輪の破片は、蕨手形(わらびてがた)と斜格子形の線刻模様(せんこくもよう)と、巴型(ともえがた)および三角形の透(すか)し孔(こう)を組み合わせた特殊なもので、岡山県の弥生時代に用いられた特殊器台形土器(とくしゅきだいがたどき)の延長線上にある都月坂(とつきざか)一号墳の円筒埴輪との強い共通性が認められる、わが国最古の円筒埴輪とみなされたからである。一方、墳丘については、詳細な測量図に基づいた国立歴史民俗博物館の白石太一郎・杉山晋作の検討によれば、前方部が未発達で、撥型(ばちがた)に開く古式の前方後円墳の特徴を持つばかりでなく、立面形において後円部が他に例のない五段築成で、前方部の側面に段築(だんちく)が認められない点など、定形化以前の特徴を示すとの指摘がある。

写真23 三角縁神獣鏡

群馬県柴崎蟹沢古墳(東京国立博物館所蔵)

箸墓古墳とならび初期の前方後円墳として重要なのは、京都府綴喜郡(つづきぐん)山城町にある椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)である。この古墳は丘陵の先端を利用して造られた全長二〇〇メ ートルの前方後円墳であるが、昭和二十七年(ー九五二)に大規模な竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が現われ、多くの副葬品が出土している。その中には三六面以上の銅鏡があるが、すべて中国製とみられ、このうち三二面は三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)であった。これは現在のところー古墳から最も多くの三角縁神獣鏡を出土した例である。三角縁神獣鏡は鏡背(きょうはい)に神像と龍や虎などの獣形を半肉彫(はんにくぼ)りで鋳出(ちゅうしゅつ)した銅鏡で、縁(ふち)の断面が三角形である点を特徴としているが、図像の背景に中国固有の神仙思想が濃厚に認められることから、わが国でこれを模倣して製作されたと見られる一群を除けば、中国製と考えられている。また、漢字の鋳出された銘帯(めいたい)には陳氏作(ちんしさく)、張氏作(ちょうしさく)などの作鏡者を示したり、長宜子孫(ちょうぎしそん)、君宜官(くんぎかん)などの吉祥句(きっしょうく)がみられる。三角縁神獣鏡の製作年代は、数は少ないものの、紀年銘を示すものの中に、正始(せいし)元年、景初(けいしょ)三年という魏(ぎ)の年号が示されている。これは、それぞれ西暦二四〇年と二三九年にあたる。三角縁神獣鏡は手ずれなどの伝世(でんせい)の形跡がほとんどないことから、入手後あまり時間をおかずに、古墳に納められたと見られている。このことを根拠として、古墳時代の開始時期を三世紀の中ごろとする意見があり、学界に広く受け入れられている。

<< 前のページに戻る