北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第5節 埴輪と再生のまつり

中井一号墳の埴輪
中井一号墳から人物と器材埴輪(きざいはにわ)の破片が出土している。ことに二個体の女子人物埴輪頭部は北本市指定の考古資料として広く市民に知られているところである。新たに分析したところ、興味ある結果を導き出した。中井一号墳に立てられた埴輪の意義をさぐり、その生産と供給についても考えてみたい。
図58の女子頭部は、人頭大を超える大きさで、実物大より小さく製作することが通例の埴輪にあって、極めて特殊例に属するものである。耳の表現はなく、粘土紐によって大きな耳環が表現されているのみである。耳環の上三センチメートルの位置には小さな円孔を穿(うが)ち、そこに先端を挿入する形で四本の粘土紐を垂下させている。類例の少ない表現だが、朝霞市柊塚古墳(ひいらぎづかこふん)の女子に共通するものがある。耳玉とは異なるものであり、もみあげに房飾りのようなものを付ける習俗があったのかもしれない。
図59—1は、男子頭部である。粘土紐巻き上げによって頭部を製作するが、頭頂部をふさがずに垂直な三角冠を額の上に接続させ、内側には補強用の粘土を貼り足している。下端部に残る眼孔の上には粘土紐で太い眉を表現するが、額の部分には別に幅二センチメートルほどの扁平な粘土帯が水平に貼り付けられており、冠を頭に固定するための帯と考えられる。冠は現存部右上に斜めに立ち上がる縁の部分が残存しており、三角形をなすものとみられる。三国時代の高句麗(こうくり)で行われていた析風(せっぷう)(三角冠(さんかくかん))とみて誤りないだろう。にぶい赤褐色で、うすく煤(すす)をかぶっている。図59—2〜5は男子の体部である。2は頸部から胸元にかけた部分で、粘土を貼って盤領衣(あげくび)の襟(えり)を表現し、その部分には赤彩が施されている。頸には円形の玉の剥離痕(はくりこん)が四か所ある。3は胴前の破片で、左端に前身頃(まえみごろ)の合わせの表現があり、結び紐が一か所ある。結び紐は粘土紐を貼り、赤彩を施している。右端には段をなす直線的な剥離痕が走っている。4および5は腕部の破片で、肩や腕の中間部があるが、全体として長い筒袖を表現したものとみてよいだろう。3の右端の剥離痕にはこの筒袖が取り付いていたとみられる。
これら体部の各部分破片から総合すると、全体として手首の隠れる長い筒袖(つつそで)の付く盤領衣を表現したものとなろう(図60参照)。襟合わせは右前となる可能性が高い。1の析風(せっぷう)をかぶる男子頭部と同一個体である。その他美豆良(みずら)や人物埴輪の靴(くつ)、人物埴輪から脱落した刀子(とうす)なども埴輪の組成を考える上で重要な破片である。

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