北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第7節 日々のくらしと習俗

服飾・髪型・身体変形
古墳時代の日常の衣服は、紆麻(ちょま)を紡(つむ)いで織(おり)上げた質素な布地を用いていた。最も加工の簡単な貫頭衣(かんとうい)が一般的で、襟のある盤領衣(あげくび)も用いられていたことが埴輪(はにわ)を通して明らかになっている。実物の布地も鉄製品や銅鏡などに付着して残存する場合が少なくないので、材質や織り方を知ることが可能である。特に、首長層の場合、絹織物も使用されており、上着は男女とも左前の襟(えり)合わせのものが用いられていた。男子はズボン状の褌(はかま)を着用し、女子はスカート状の裳(も)を付けることが人物埴輪から知ることができる。興味深いのは、渡来人を表現した人物埴輪に限って、右前の襟合わせが行われていたことで、中国の古文献の内容と一致している。
髪型は、男子の場合、庶民では鬢(びん)を上方に折り返して束ね上(あ)げ美豆良(みずら)が労働に適した髪型として一般的であり、首長層のみ鬢をおさげのように長く下げリボンなどで束ね、後髪を長く垂らす髪型が行われていた。女子の場合、中井一号墳(原始P三二四)出土の人物埴輪から知られるように、髪を島田髷(しまだまげ)のように結っていた。このほか、人物埴輪からは、主に頰(ほほ)の部分を様々な形に赤く塗(ぬ)りわける一種の化粧が行われていたことを知ることができるが、葬祭の場に限って行われたのか、日常的に行われたのかは定かでない。
身体変形は、古代に限らず世界各地に認められる習俗で、代表的なのは耳飾りを付けるための耳の変形や入れ墨である。古墳時代の耳飾りの代表的なものは金属の棒を丸めたもので今日のイヤリングに相当する。銀製のものと銅芯を金の薄い膜で覆ったものとがある。これらはいずれもピアス式の物であり、耳朶(みみたぶ)への穿孔(せんこう)が男女ともごく普通に行われていたことを知ることができる。入れ墨は特定の氏族や職掌を示すために、鼻や頰などに筋彫りする例が埴輪から知られるが一般的ではなかったらしい。古墳時代人の人骨を調査すると、膝の骨(膝蓋(しつがい))が異常に発達したものが認められ、蹲居(そんきょ)(かがんで腰を浮かした状態)をする機会が多かったようである。なお、縄文時代から弥生時代にかけて盛んに行われていた抜歯(ばっし)の習俗は古墳時代にはほとんど行われなくなっていた。

写真27 古墳時代人の衣服と髪型

(男)(芝山はにわ博物館提供)

写真28 古墳時代人の衣服と髪型

(女)(芝山はにわ博物館提供)

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