北本市史 通史編 古代・中世

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 古代・中世

第5章 関東府の支配と北本

第4節 南北朝・室町期の北本周辺

箕田郷内河連村

写真42 足利金王丸寄進状 鶴岡八幡宮蔵

(埼玉県県史編さん室提供)

応安元年(一三六八)八月二十一日、関東管領上杉憲顕(法名道昌(どうしょう))は足利金王丸(氏満)の意を奉じ、鶴岡八幡宮に「天下安全・武運長久」を祈って箕田郷地頭職内河連村(鴻巣市川面(かわづら))を寄進した(古代・中世No一三一)。文書が出された応安元年八月は、武蔵平一揆の乱の首謀者の河越氏を討伐した直後であり、また同一揆に味方し挙兵した宇都宮氏らとの戦いが控えていたことから、戦勝を祈願しての寄進であった。この時期に寄進された大部分の所領がそうであったように、この地も平一揆方の所領であったと推測される(古代・中世No一二九など)。

<< 前のページに戻る