北本市史 通史編 古代・中世

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第6章 後北条氏の武蔵進出と岩付領

第5節 豊臣秀吉の天下統一と岩付落城

岩寸城の落城
岩付城の攻撃は、浅野長吉・木村一等の率いる豊臣軍と本多忠勝・鳥居元忠・平岩親吉の率いる徳川家康の軍勢が行い長吉が指揮した。浅野軍はすでに四月二十四日には小田原を出発し、長吉は、四月二十九日には足立郡浦和郷に自軍兵士の乱暴を停止する証状を出しており(「旧浦和宿本陣文書」)、すでにこの付近まで制圧していた。いつぼう岩付城は、太田氏房が多くの岩付衆を従えて小田原城に籠城しているので、重臣の伊達房実に指揮された太田備中守等の将兵が守っていた。
浅野軍は約二万騎で、五月十九日に城を包囲した。合戦は五月二十日に行われ激戦になったが、小勢の岩付衆はその日のうちに敗北した。このおり後北条氏の重臣板部岡融成と山角氏の関係者が岩付衆に配置され、古くからの太田氏家臣山口・佐枝氏とともに活躍したという(『北条記』、他)。伊達房実等は五月二十二日に降服し、岩付城は落城した。

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