北本市史 通史編 古代・中世

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 古代・中世

第7章 北本周辺の中世村落

第1節 村落と農民生活

職人衆の活躍
中世は商業とともに手工業が発達した時代で、各地に職人集団が生まれてきた。職人とは手工業者のことで多くの職種があるが、主に農耕具やその他の生活必需品・金工品(仏像等)・甲胄(かっちゅう)や鎚(やり)等の武器の生産者、社寺や城郭等の大工や石工職人が知られる。
市内には現在八躯(はっく)程の中世仏が遺存しているが、それらは在地の職人集団によって造られたものが多かったようである(古代・中世P四二三〜四二四・四二六〜四二七)。
また、銅鐘・懸仏等の仏具も在地の鋳物師(いもじ)集団によって製作されたことが、それらに刻された銘文によって確認される。特に岩付領下では、十五世紀後半に活躍した渋江鋳物師(岩槻市)が著名である。戦国大名後北条氏やその配下の支城主たちは、これらの職人集団の保護・統制につとめている。軍需物資やその他の生活必需品の調達を容易にするためであろう。永禄七年(一五六四)十一月二十八日、岩付城主太田氏資は渋江鋳物師に諸公事免除(しょくじめんじょ)を安堵(あんど)し、その権利は岩付領を掌握した北条氏政・太田氏房からも保障されている(『武州文書』埼玉郡)。
この他、各地の郷村にも職人が居り領主や農民の需要にこたえて営業していた。彼らは岩付城主太田氏房等の支配者から「細工人」と呼ばれていたことが当時の古文書により確認される(古代・中世No二三七、他)。

<< 前のページに戻る