北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第4節 農民の負担

1 年貢の種類

国役
これらの恒常的な貢租のほかに、「川々国役」(資料中⑧)や「琉球人国役」(同⑨)のように、幕府が時によって国を定め、御料、私料を問わず課した臨時の課役があり、これを国役という。国役金としては、この他に朝鮮からの使節の接待費、将軍の日光社参費用、禁裏(きんり)造営費に充てるために賦課する場合などがある。また、宿駅の補充・保護の目的で近隣の農村から人馬を徴発した助郷は、「天下農民中、生を定助郷各村に受くる者ほど不幸な人民はあらざるべし」(『近世農民生活史』P五五)といわれたほど、農民にとっては重い負担であった。明和元年(一七六四)の伝馬騒動は、参加者二〇万人といわれ幕府を震撼(しんかん)させた大事件で、このことを如実に物語っている。これらに加え、領主財政の悪化の中で、市域の村々においても、後述のように御用金・借上(用)金・先納金等の強制的な献金にも応ぜざるを得ず、また村入用金なども嵩(かさ)む一方で、農民たちは何重もの負担を強いられ、まさに「農は納なり」といった状況で苦しい金策に追われるのである。

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