北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第1節 村落の推移

1 村の概況

荒井村
元和検地のとき石戸村から分村した。旗本牧野氏の領地で、検地は寛文七年(一六六七)、荒川岸に持添新田があり、寛政六年(一七九四)検地し幕府領となる。村高は『武蔵田園簿』で三五五石余、うち田五六石余(ニー・八パーセント)・畑二〇〇石余(七八・二パーセント)、『元禄郷帳』では枝郷北袋村(六八石余)が見え、本村はニー六石余となっている。高尾・下石戸上・下石戸下・石戸宿の四か村と、秣場への入会権や荒川の河川敷の開発をめぐって論争が絶えなかった。この四か村との境界は複雜をきわめ、飛地も交し、モザイク状を呈している。高札場は村の東方にあり、荒川岸には荒井河岸があった。鎮守は牛頭天王社、北袋村は神明社、神社では他に浅間社があり、寺院は天台宗千手山慈眼院双徳寺(川田谷村泉福寺末)、同安楽山宝蔵寺(同末)、当山派修験正明院があった。化政期の家数は六八軒であった。主な物産に、米・大麦・大豆・清酒・醤油などがあった。      

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