北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第1節 村落の推移

1 村の概況

東間村
はじめ東新田と称し、『元禄郷帳』には東間村と見える。はじめ幕府領であったが安永元年(一七七二)川越藩領となり、慶応三年(一八六七)再び幕府領となった。検地は寛永六年(一六二九)であった。村高は『武蔵田園簿』で七九石余、皆畑である。『元禄郷帳』では八七石余で、以後はほとんど変わらなかった。村の東に持添新田があった。村の中央を中山道が通り、小名三軒茶屋には立場(たてば)(伝馬人足などが休憩する場所)があった。また、高札場は村の東方にあった。鎮守は浅間社、寺院は天台宗東土山宝光寺(川田谷村泉福寺末)と浄土宗士峯山勝林寺(鴻巣宿勝願寺末)があった。化政期の家数は五八軒、うち立場に四五軒が集中していた。主な物産に、大麦・小麦・大豆・小豆・粟・蕎麦・甘藷などがあった。

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