北本市史 通史編 近世

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第3章 農村の変貌と支配の強化

第4節 身分制度と差別の強化

3 差別の強化

江戸時代も享保(一七一六~一七五六)以降は、次第に人々の生活が貨幣経済に巻き込まれて派手になり、幕府は元の姿に戻すよう数度に及ぶ改革を試みたが、いずれも不成功に終わり、再び以前にも増して贅沢な生活に引き戻されていった。そして、田畑を失い生活基盤を失った没落農民は、農村から追われて都市に流入し飢餓などをきっかけにして打壊しに走ったり、常に社会不安を釀成(じょうせい)していた。また、農村にあってもしばしば御禁制の一揆が発生した。
これに対して幕府は町人や農民の生活を厳しく規制していった。こうした農民や町人に対する圧迫を和らげるために、身分的に彼らの下に位置付けられていたえた・非人に対しては、さらに一層の差別の強化が行われた。例えば、安永七年(一七七八)十月、幕府は「穢多非人風俗之義ニ付御触書」を発した。この内容は「近ごろ、えた非人の類の風俗が悪くなり百姓や町人に対して狼藉を働いたり、百姓の姿をして旅籠屋・煮売屋・小酒屋などに自由に立ち入り、もし注意されると逆に難題を言いかけて百姓・町人が建たがって構わないのを良いことに、ますます増長している。今後は跋しく取り締まるように」となっていた。
また、さらに具体的な例として、文政八年(ー八二五)に比企郡で村役人から申し渡された事柄について一同が連印して提出した請書がある(『鈴木家文書』三)。この内容を見ると、

この度、えたが古来からのしきたりを忘れているとのことで、厳しく言い渡されたことについて一同承知した
ので次のことを守ることを約束いたします。
一 村方の御百姓様の畑に木陰を作らない事
一 村方の御役人や村人はもちろん子供にいたるまで失礼のないようにする事
一 村方から牛馬を借りたとき、村内はもちろん隣村でも乗ったり、馬草場の草を刈らない事
一 村方から言い渡されたことは、三日以内に必ずやる事
ー 村方の田畑を突つ切ったり、道を削って田畑にしない事
一 村内で、傘や日傘をさしたり、下駄を履いたり決してしない事
ー 隣村に出掛けたとき、村方の方々に迷惑を掛けないように慎む事
これらの事柄は小頭や組下子供に至るまで守らせるようにし、時々読み聞かせることも行います。

といった人権を無視したものであった。
また、非人については以前から頭は斬髪(散切り頭)と決められていたが、さらに元文三年(一七三八)には、非人とすぐわかるように頭巾などの被り者をすることを禁止している(『鈴木家文書』)。
このような差別が、江戸時代も後期になると意図的に幕府によって推進された。

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