北本市史 通史編 近世
第3章 農村の変貌と支配の強化
第5節 治安取締りと改革組合村の設置
4 農間余業調べ
貨幣経済の発展は、幕府財政基盤の担い手である農民生活の根底を突き崩すものとして、幕府は極力これの抑制に努めた。その現れが文政改革の際に取られた農村における農間余業の実態調査である。市域に残されている文政改革に関する史料を見ると、下石戸上村に「文政十一年六月御改革上書伺控」(近世№一五)がある。
これは文政改革にあたり実施された村内の農間余業調査に対し、村から書上げたものである。この時の下石戸上村の状況は、
村髙 二八九石七斗七升
家数 七七軒
人別 三三四人
内 家数五二件 農業専業の分
家数二五件 農間商人又は諸職人の分
これを見ると七七軒の内五二軒が農業を専業とするのに対し、約三分の一の二五軒が農業以外に商売や職人など何
らかの仕事を兼ねていることが分かる。なかには農間余業を専業とする者もいたと考えられる。その中身は、
・居酒屋渡世 六之助 (九年以前より)
甚五右衛門(一六年以前より)
次右衛門 (ーー年以前より)
孫右衛門 (一七年以前より)
・髪結い渡世 松五郎 (五年以前より)
・煮売り渡世 与吉 (名主徳太郎地借り人)
となっている。また、別の書上では、質屋を営む者一人が届け出ている。
この調査は、居酒屋、髪結床、湯屋、大小拵(こしらえ)・研屋を中心に煮売り、腰物類売買などについても調査したが、前述のとおりで他の職種は見られなかった。そして書上の後に、以上のとおり相違ないとの請書を出役宛に提出する形式を取っている。このほか、この書上控には、若者仲間はとかく村役人の命令にも背くことがあり、よろしくないので廃止させること、あるいは質屋については新規の質屋を始めることなく、質屋株を定めてやっていきたいことなどを請書に記述している。
文政改革の一〇年後の天保九年(ー八三八)に、再び関東取締出役によって調査が行われ、そのときの書付(通達書)に見える調査職種を見ると
居酒屋、大小拵・研屋、髪結床、湯屋、煮売り、腰物類売買、穀物、呉服・太物、小間物類、荒物・頼戸物類、
古着屋、古鉄・紙屑、料理茶屋、菓子折卸、蒸菓子・干菓子、蒲焼、鮓(すし)、袋物、餝(かざり)屋、鼈甲細
エ、唐物類、女髪結、琴三味線糸師、下駄・足駄・傘拵、金物類、菜種、音曲遊芸指南、武芸師範、質屋
など商売人・職人から芸事・武芸の師匠まで二九種に及ぶ職種を挙げている。これらの職種について詳細に調査し、報告するよう求めている。特に質屋については前回の調査以後増えた者も合わせて書き上げるよう求めその晝式も示している(近世mー九)。このときの調査結果は目下のところ確認されていないが、これほど詳細な調査を実施したことは、幕府がいかに農村の実態把握に努めていたかを如実に物語っているといえよう。